遊郭

「吉原炎上」のウソ 4/妓楼のランク

続いて妓楼のランクを説明しておきます。今回はドラマ「吉原炎上」の間違いについての話はでてきませんが、のちのち重要な意味を持つので、しばらくおつきあいください。

ドラマ「吉原炎上」の中でもいくらかそれがわかる箇所が出てきますが、明治以降、遊廓の妓楼は、「大店(おおみせ)」「中店(ちゅうみせ)」「小店(こみせ)」の大きく三種に分かれていました。現在のソープランドで言えば、高級店、大衆店、格安店です。「だい・ちゅう・しょう」「おお・なか・こ」の音訓の読みが混在しているのは、「なかみせ」だと「仲見世」と混同するためでしょう。仲見世は、吉原のメイン通りです。

これらは、単に値段の違いを意味するものではありません。建物の構造自体が違っていて、間口の広さと籬(まがき/格子のこと)の大きさで、店の格がわかるようになっており、大店のことを「大籬(おおまがき)」と言い、小店を「小格子(こごうし)と言います。客としては、値段を聞かずとも、建物を見れば、だいたいいくらくらいの店なのか判断できるわけです。

それ以外にも、さまざな点で違いがあって、今の風俗店以上に、格の違いには意味があり、吉原のガイドブックである「吉原細見(さいけん)」でも、どこがどのクラスの店なのかわかるようになっていました。

通りによってもある程度ランクが決まってます。大店は大門の近くや仲見世通りの近くにあり、その間の路地や端に行くとランクは落ち、両サイドの端は「河岸」(かし)と呼ばれます(原作に出ている地図には「川岸」とありますが、これは誤字でしょう)。吉原を囲む「おはぐろどぶ」を河に見立てたものです。

ここにある妓楼は「河岸店(見世)」と呼ばれ、東側の河岸は、ドラマにも出てくる「羅生門横丁」「羅生門河岸」と呼ばれる地域です。ここには「長屋」「チョンチョン格子」などと呼ばれる最下層の店があります。

「羅生門」という呼び名は、女たちが格子から手を出して客を引っ張ったことから、羅生門の追いはぎになぞらえた名称と言われます。

客を呼ぶのは「妓夫」(ぎふ/ぎゆう)、「妓夫太郎」(「牛太郎」とも書く)と呼ばれる男たちの中で「立番(たちばん)」という役割の仕事です。今のソープランドでも、店の前に立つのはマネージャーだったりするように、立番は下っ端にはやらせません。それだけ重要な仕事です。

赤線時代は別にして、立番がいた時代には、女たちは直接客を引くようなことはせず、せいぜいキセルを客の袖にひっかけて呼び止める程度です。

その立番も、明治時代には客に直接触れることは禁じられていたのですが、末端の店では女が直接客の袖を引くこともあったのでしょう。

原作には、羅生門横丁の中でも最下層の店、つまり吉原での最下層の店を「トンネル」と呼んだとあります。この名称は明治時代の本にも出てますから、広く使用されていた用語のようです。

これ以外に「蹴転(けころ)」という名称もありました。ランクの高い店はさまざまに語られるのですが、もっとも低いランクの店も何かと人々は語り、だからこそ多数の呼び名があったことがわかります。客として行くことはあまりなかったにしても。今の時代も、しばしば「怖い場所」として、格安の店が語られることがありますね。

「トンネル」という名称は、三畳一間しかなく、中が暗いためだと原作には書かれています。中店以上では、娼妓の部屋は二間が基本で、ひと間にしかない小店でも、たいていは四畳半から十畳の部屋だったのですが、例外的に三畳一間しかない部屋もあったようです。

しかし、通路が狭くて暗かったためにトンネルと言われたとの説もあって、こっちの方が正しそうです。今でも残っている下町の路地に入ると、狭くて暗くてトンネルのようですから。

ドラマの舞台になっている夕凪楼は大店という設定になってます。対して、原作で久野が最初に入る中米(「なかよね」となっている資料も一点ありましたが、原作を含めて、あとはすべて「なかごめ」)は、「『吉原細見』では小店、実際には中店」ということになってます。

「吉原細見」は全妓楼に所属する娼妓の名前が出ているガイドブックで、そこでは中米は小店にされていたというのです。

中米は、四階建てで、四十六人もの娼妓がいる立派な妓楼であり、娼妓の部屋は三間もあったと書かれています。それでも小店というのはどういうことでしょうか。

他の資料でも確かめてみようと、明治時代の遊廓関係の本を片っ端から調べてみたら、実に面白いことがわかりました。

現実の久野が吉原にいた時に出版された清水亮三編『名娼 花街演説』(二書房・明治22年)という珍しい本があります。これは吉原の娼妓たち18人が、「自分たちの権利を守れ」との趣旨で行った演説会を採録したもの。こんな演説会があったこと自体、驚きです。この時代に娼妓たちが「権利」という言葉を使っていることも、全員、妓楼名と源氏名を出していることも驚き。

この本は以前から所有していたのですが、改めて確認したところ、中米楼の小町という娼妓が出ており、ここでは【小楼(こみせ)とは云へ近頃日の出の中米楼】と紹介されています。ところが、明治30年代のものになると、いずれも中米は大店となっています。つまり、中米は、小店から中店へ、そして大店に成り上がった店だったのです。

吉原には中米から暖簾分けした店が多数あって、今で言えば、大手のチェーンだったためによく知られていた店だったらしい。

現実の久野がいた頃は小店から中店になりつつある頃だったのでしょう。ドラマの設定である明治40年代には大店になっていたのですから、夕凪楼が大店という設定もおかしくはない。あのドラマはそんなところの整合性など求めていないでしょうけど。

なお、原作にも『名娼 花街演説』にも、「中米楼」と「楼」がついてます。正しくは「楼」はつかないのですが、このような屋号にも妓楼であることを示すために「中米楼」とすることがよくあります。

やがて久野は吉原の大店の中でも名店とされる角海老(これも原作では「楼」がついてますが、正しくは「角海老」です)に住み替えます。つまりは日本のトップに属する妓楼と言ってもいいでしょう。今も同名のソープランドがあちこちにありますが、直接のつながりはありません。(続く)

「吉原炎上」のウソ 3/公娼と私娼

前回出できた国語辞典の定義にあったように、広い意味での「遊廓」は、【遊女を抱えた家が多く集まっている地域】ということでいいのですが、一般に「遊廓」と言った場合は、公娼としての売春地域のことを意味します。

「公娼」とは、国が認める売春の制度、また、そこで働く個人のことです。公娼にもさまざまな形があり得るわけですが、日本においてこれを実現したのが遊廓であり、この中で、鑑札と呼ばれる許可証を得た女たちだけが売春することができました。

前回書いたように、東京市内には6カ所の遊廓があり、東京府内には、ほかに調布、府中、八王子、父島に遊廓がありました。とくに市内の遊廓は規模が大きかったため、数で言えば東京は必ずしも遊廓が多くはなくて、たとえば北海道には40もの遊廓がありました。

これらの遊廓以外にも娼家の集まった地域があります。もしくは街娼のような個人営業もあって、これらはいわばモグリであり、「公娼」に対して「私娼」と言います。

「私娼」は業態のことも、娼婦個人のことも言い、地域を指す場合は、「私娼街」「私娼窟」などと言います。明治以降、よく知られた私娼窟には、浅草、亀戸、玉ノ井があり、渋谷、早稲田といった地名も古い本には時々出てきます。

私娼には別名も多数あって、「密淫売」という言い方がよく出ていますし、「だるま」などの俗称もあります。宮武外骨編『売春婦異名集』(成光館出版・大正15年)には地方で使用された私娼の名称も多数掲載されていますので、興味のある方はそちらを参照してください。外骨の本としては売れたため、古本屋で3千円から5千円程度で簡単に購入できます。

私娼はほかの業種を偽装していることが多いため、その業態に合わせて、「酌婦」「湯女(ゆな)」「雇女(やとな)」「飯盛女」などと呼ばれます(このうち、「湯女」はもっぱら江戸期のものですが、昭和になってからも温泉地には存在していました。今のソープ嬢も湯女の一種ですし)。

私娼窟を婉曲に「魔窟」と呼ぶこともありましたが、このような言い方を遊廓に使用している例はほとんどないでしょう。

公娼のあった時代、国のお墨付きのある公娼と、モグリのくせに人気のあった私娼とは商売敵の関係にあって、互いに互いを悪く言うことがよくありました。とくにドラマの舞台である明治末期には、浅草十二階下と呼ばれる私娼窟が人気を集めて、吉原を脅かしていました。大正時代には警察がここを一掃していて、これは吉原遊廓の要望によるものだったとも言われます。

公娼からすると、私娼は「行政の管理が行き届かず、不潔で危険な場所」、私娼からすると、公娼は「値段が高く、女たちには自由がない」ということになります。私娼の女たちもしばしば借金で縛られてはいましたが、公娼のように法的な規則によって外出が自由にできなかったわけではありませんし、借金のない女たちが私娼にいたことも事実です(公娼にも一部いたのですけど)。

埼玉県や群馬県では早くから遊廓を廃止しています(これを「廃娼」と言います)。ところが、そのふたつの県では、代わりに私娼が跋扈し、地元ではこれらを遊廓と呼んでいました。性病対策を徹底するために、半ば公認状態になってましたから、公娼に限りなく近い私娼です。

このような例もあるのですが、公娼と私娼は、今の合法の風俗店と違法の風俗店以上に違うものであったことを覚えておいてください。

以上を踏まえていただいて、ここからはドラマ「吉原炎上」の間違いです。ドラマでは、藤田まこと演じる楼主(経営主)が、吉原を含めて「岡場所」という言い方をするシーンが出てきます。これも原作にはありません。

「岡場所」は遊廓以外の売春地域、つまり私娼窟を指す江戸時代の言葉で、明治時代にも使われていました。ドラマ同様に、広く一般に男らが遊ぶ場所をこう呼ぶ用法も見られはしますが、岡場所の「岡」は吉原の「原」を踏まえた言葉であるとか、「外(ほか)場所」が訛った言葉であるといった諸説があって、どの説にしても、正規の吉原とそれ以外のモグリの私娼を分けるための言葉です。

この言葉の経緯からして、また、公娼と私娼の関係からして、吉原の楼主が私娼と公娼を混同させるような言い方をしたとは考えにくい。これも誤用と言うべきです。

この公娼制度は、敗戦後間もない昭和21年(1946)に廃止されています。ところが、このドラマでは、売春防止法によって遊廓が消滅したかのように説明されていますし、テレ朝のサイトでもそうなっています。

「公娼とは何か」「赤線とは何か」という定義の問題になって、議論の余地があるところなのですが、長くなるので、ここでは省略するとします。(続く)

遊郭

あなたの知らない性風俗史。
週1回の更新です。

遊郭

松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。