遊郭
「吉原炎上」のウソ 11/遊女の堕胎
江戸時代は「女医者」「中条流(中條流)」と呼ばれる堕胎専門の医者がいました。この「女医者」は古川柳にも出てくる言葉ですが、女医のことではないので、ご注意ください。
遊女のみならず、武家の妻、未婚の娘などが広くこの堕胎医を利用してました。未婚の娘はわかるとして、武家の妻であれば、妊娠を喜んでもよさそうですが、不義密通によるものは都合が悪い。そのくらい不義密通がなされていたってことでもあります。
あとは下女です。妻にばれては都合が悪いし、相続の問題が生じかねませんので、主人が金を出して堕ろさせたわけです。
生むわけにはいかない遊女や、産んでも育てられない貧農の需要がもっとも高そうですが、高田義一郎著『世相表裏の医学的研究』(実業之日本社・昭和3年)によると、遊女の需要よりも一般の女性たちの需要の方がずっと高かったそうです。人数から言って当たりまえではあるのですが、それと同時に、遊女たちは上に書いたような避妊の智恵があったためです。また、医者にかかるまでもなく、自分たちで堕ろしていたためでもあります。
人数から言っても、育てられない事情から言っても、貧農の妻たちの需要があってもよさそうですが、医者を呼ぶ金がありませんので、こちらも遊女同様に自分たちで堕ろしてました。
では、医者に頼らず、どうやって堕胎をしていたのでしょうか。これについては、昭和10年に柳田国男が指導して実施した「全国産育習俗調査」に詳しく出ています。この調査は、昭和10年に、どのような習俗が行われていたのかを調べたのでなく、主に明治時代の習俗を知る世代に聞いたものです。
原文は見てないのですが、そこから引用したものを見たところ、もっとも多い方法はほおづきの根や茎を挿入するというもので、全国各地でこの方法が行われていたことがわかります。
茎で突くという証言もありますが、直接それによって流産させるのではなく、そのような成分がほおづきには含まれてました。少量であれば薬効のある成分が含まれているのですが、子宮を緊縮させる成分も含まれているので、妊婦はほおづきを食べるなと昔から言われてます。私は妊娠してなかったですが、子どもの頃に、親から「ほおづきの実は毒だから食べてはいけない」と言われたもので、どうやら流産するという話が「食べてはいけない」という教えになったもののようです。
こんな原始的な方法で堕胎できたのかどうか疑問に思ったりもしますが、原作で、久野自身がこの方法で堕胎したことが記述されています。ドラマにはない話です。久野も当初は詰め紙をしていたのですが、妊娠しないことをいいことに安心してしまい、避妊を怠ったようです。
また、「全国産育習俗調査」には水銀を使う方法も出ています。江戸時代には、堕胎薬が販売されていて、これも水銀です。母体にも危険ですから、ほおづきの方がずっとマシでしょう。
堕胎に失敗するなどして稀に出産に至る娼妓もいましたが、この場合は里子に出します。遊廓の中で間引いたとの話は聞いたことがないのですが、江戸時代までの農村部では、広範囲で間引きが行われていました。
江戸の堕胎と間引きを研究した高橋梵仙は、戦乱のなかった江戸時代に人口が増加しなかったのは、間引きのためだったと言っています。これには異論もあるのですが、「人口が増えなかったこと」についての異論であって、広く日本人が間引きをしていたことについては議論がありません。
なお、高橋梵仙の研究は『堕胎間引の研究』(財団法人中央社会事業協会・昭和11年)にまとめられています。ここでの著者名は社会事業研究所になってますが、のちに同書は、高橋梵仙名で、『堕胎間引の研究』(第一書房・昭和56年)として復刻されていますので、興味のある方はお読みください。非常に刺激的な内容です。
堕胎する方法もそれなりには知られていたのに、そうも間引きが多かったのは、生まれてすぐの子どもを殺すことに、今の我々が感じる罪悪感と同様の感情を当時の人々が感じていなかったからでもあります。死生観の違いです。長くなるので、詳しい話は省略しますが、間引きした子は再度この世に戻って来られるようにあえて粗末に葬られました。
近代に入ってからもなお間引きは続いていて、まして、この世に生まれて来なかった胎児に愛着を抱くことは考えにくく、水子供養なるものが出てきたのはここ半世紀程度のことです。
したがって、遊廓内に、子どもの墓があったとは思いにくいのです。ドラマのあの墓はいったい誰のどんな墓だというのでしょうか。
ほおづきを使って堕胎した原作に比して、ここもまた根拠のない創作であり、「遊廓は悲惨だった」と言いたいがための時代考証で言ってもあり得ないウソだと断じていいでしょう。(続く)