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「吉原炎上」のウソ 9/吉原大門とデマ

もうひとつ時代考証として気になるのが大門です。今は交差点の名前でしかなく、その脇に何代目かの見返り柳が残っているだけですが、遊廓時代の吉原には門がありました。

大門は一般に「だいもん」と読み、他の遊廓においても「だいもん」と読むことが多いのですが、吉原や洲崎では「おおもん」です。原作には「だいもん」のルビがあって、編集者がルビをつけた際に間違えたのでしょう。

で、ドラマに出てくる大門の形は間違っているのではないか。吉原大門は、江戸時代は木造の門だったのですが、明治4年の火災で焼失、明治14年に鉄の門に建て替えられます。この鉄の門には吉原の常連だった福地桜痴の書による「春夢正濃満街櫻雲」と「秋信先通両行燈影」という文字が彫られていました(漢詩の作者は永瀬正吉)。絵や写真の門がいつのものなのかを同定するためには、門を見ればある程度のことがわかります。

この門は関東大震災によって失われてしまうのですが、この時点では、ドラマに出て来る、像があるアーチがつけられていました。震災で焼けて溶けたアーチの写真も残っています。

つまり、門はそのままで、ある段階で、上にアーチが加えられていたのです。明治20年が舞台の原作に描かれた門ではアーチはなく、問題はいつこの形になったのかです。

吉原大門の変遷については以前調べたことがあって、その時は十分には調べ切れず、はっきりとはわからなかったのですが、改めて調べてみたところ、明治36年刊の葛城天華・古沢古堂著『吉原遊廓の裏面』(大学館)に大門の写真が出ていて、これにはアーチがありません。

この写真を撮った時点から明治40年までにつけられたのでない限り、あのアーチが加えられたのは、明治44年の大火の際ではないかと思われます。

「間違っている」と言えるほどの自信はなく、これについては、また何か資料を見つけたら報告することにしますが、なんにせよ、明治以降の吉原大門には扉などなく、単に柱があるだけか、アーチがあるだけでした。扉があったのは江戸時代のことです。

大門は閉じようにも閉じられなかったにもかかわらず、関東大震災の時に、遊廓に反対する婦人運動家たちが「女たちが逃げられないように門を閉じた」というデマを流していて、当時、激烈な批判を浴びています。

批判されるのは当然です。多数の娼妓たち、あるいはそれ以外の人たちが亡くなったことに乗じて、デマまで流して遊廓を批判したわけですから。震災時のデマは朝鮮人に関するものだけではなかったのです。

今もなお、調べもしないで、こういったデマを信じ、そればかりか、デマをなお垂れ流している人たちがいます。呆れたものです。「売春を否定するためにはデマも流す」という人たちにはくれぐれもお気をつけください。

ドラマでも、テレ朝のサイトでも、吉原に門はひとつしかなかったと説明されています(いつの間にか、「吉原炎上」のサイトが削除されていました。公開期間を過ぎただけでしょうけど、ことによると私のせいか?)。しかし、吉原には七カ所に非常門がありました。非常門は通常閉じられていましたが、災害の際には逃げるために開かれますし、祭りの際にも開放されます。原作にもそう記述されています。

廓外に逃がすことによって、そのまま逃亡するリスクを楼主たちが恐れていなかったわけではないのですが、関東大震災の時に、逃げられることを心配しつつも、どのように女たちを逃がしたのかを雑誌で語っている楼主がいますし、関東大震災の証言集の類いを見ても、逃げ惑う娼妓たちを目撃した人たちも多数います。

わざわざ資料を調べるまでもなく、こんなことは、ちょっと想像力を働かせればわかることです。女たちは楼主から借金をしているのですから、死んでしまったら楼主は大損です。契約上、娼妓が亡くなった場合、残った借金は、親や連帯保証人が返済義務を負うことになっていたのですが、現実には取り立てることはなかったため、すべて楼主の損害です。今の時代にも、借金した本人が亡くなったら、「しょうがないか」と諦めることが多いでしょう。

金を返済させ、なおかつより金を儲けるためには、死なれたり、怪我をされたら、困るのは楼主なのです。

こういったことを考えもせず、「遊廓は悲惨であって欲しい」「売春をするような女たちはひどい目に遭わされて欲しい」という願望が、ありもしない扉を作り出してしまったわけです。

ドラマでは、そこまでのウソは言っておらず、主人公が火災から逃れるシーンが出てきます。誰も閉じ込めようとはしておらず、それどころか、妓夫太郎が助けに来ます。ここは、珍しく、このドラマが正しく歴史を踏まえている箇所です。

そこはいいとしても、このデマを流した人たちと、ドラマに流れる「遊廓の解釈」「売春の解釈」は完全に重なっているように見えます。そのことをこれ以降さらに確認していきます。(続く)

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松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。