遊郭
「吉原炎上」のウソ 6/鴇手の教え
前回書いた、ドラマにおける「お職」という言葉の誤用は、女同士の争い、嫉妬を盛り込むためのものかもしれません。
ドラマでは、妓夫らがいるところで、娼妓同士が「客をとった」などと大声で怒鳴り合ったり、いがみ合ったりするシーンか何度か出てきます。このような女同士の争いがドラマを進行させる重要な柱になっていて、それなしでは成立しない話になっていると言っていいでしょう。
しかし、原作ではそのような話は一切出ていません。こんな話が出てこないだけでなく、娼妓たちがいかに心優しい人たちであるかを書き、娼妓たちもお内儀さんも親切であったことを記述しています。
とりわけ角海老の娼妓たちはそれまでの中米とはまったく違う雰囲気で、威厳があったとしています。ドラマのような品のない女たちではないのです。今の時代の人間が、自分を基準にして作り上げられるキャラの限界というところでしょう。
そりゃ人気がなければ、人気のある妓を羨んだかもしれないですし、人間ですからケンカをすることもあったかもしれません(今我々が感じている「嫉妬」という感情自体、近代的なものとも思われ、この感情を明治の人たちが広く共有していたのかどうかについても疑問はありますけど)。
しかし、遊廓の制度からして、ドラマにあるようなことが実際にあったとは考えにくい。ドラマの脚本家は、遊廓を現代のキャバクラと重ね過ぎではなかろうか。あるいは、戦後の赤線とそれ以前の遊廓とを混同しているのではなかろうか。
初期の吉原では、一回こっきりの遊びはできず、決まった遊女がいるのに、他の店に遊びに行ったことがわかると、武士でさえも制裁を加えられました。遊女側から拒否することもでき、今で言えば愛人に近い存在だったわけです。
明治以降はそこまでのことはないにせよ、それでも大店では、それ相応の手続きなしで、同じ店の中で相手をする娼妓をそうやすやすと変えることはできなかったはずです。赤線時代でさえも、こういう客は軽んじられたくらいで。
「吉原細見」で小店とされていた原作の中米でも、客の取り合いで露骨ないがみ合いがあったとは思えません。時代を経るにしたがって、遊廓のしきたりは崩れていきますから、そのために時代を20年ずらしたのかと思ったりもしますが、ドラマでは大店という設定になっているのですから、明治末でも、そういう客がいたら、「お客さん、バカにしちゃいけませんよ」と店の人が注意したのではなかろうか。原作に出てくるように、角海老は、伊藤博文が遊びに来るような店だったのですから。
とは言え、金を物を言わせて、相手を取り替える客がいなかったわけではないでしょうから、これはいいとしても、果たして、娼妓同士がそうも露骨な喧嘩をしたり、足を引っ張り合うようなことがあったのかどうか。
ドラマでは、娼妓たちの足の引っ張り合いが伏線になって、主人公の久野は悲しみのどん底に陥れられるということになっています。原作にないストーリーをスムーズに展開するためにやむを得ない設定であったのだろうとは思うのですが、この先の展開自体が原作にはなく、なおかつあり得ないものなのです(これについてはもっと先にやります)。
原作にはこのようなセリフが出ています。
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人気のある流行の花魁には、
「あんた器量良しだからもてるけど、自分がもてているときは、他の花魁は振られているの。だから、花魁は少しもてて振られもしないのが一番よ」
などと、分かったようなことを言ったかと思うと、暇なお茶引き花魁には、
「自分の不器量なんて、けっして思っちゃいけない。もてようとテレテレするから振られるの。今夜はひとつ振られてみようとツンとしてごらん、お客なんて口説いても口説けないようなのを口説きたがるものなのよ」
と真顔で説いたりもする。
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これは中米にいた松という鴇手(やりて)の言葉です。「鴇手」というのは、女たちの身の回りの世話や教育をしたり、客の接待をする中年以上の女のことで。「やり手婆」などとも言われますが、必ずしも老年ではありません。女たちを管理、監視するとともに、皆が稼げるように知恵を与え、励まして采配するのも鴇手の仕事です。
仮に娼妓同士のいがみあいが始まったら、必ずや鴇手が介入したでしょう。しばしばフィクションでは鴇手が現実以上に意地が悪く、絶対的な権力をもっていたように描かれます。そういう存在もいたでしょうけど、であるならば、喧嘩をした娼妓たちに制裁を加えたはずです。
都合がよすぎるんですよね。ある時には、今のキャバクラのように、女たちがいがみ合い、足を引っ張り合い、皆がいるところで怒鳴り合い、つかみ合う。そんなことを繰り返しできるくらいに自由な環境にあったことを描写しながら、ある局面では楼主や鴇手が冷酷無比に制裁を加え、暴力をふるう。「いったいどっちなんだ」って話です。
この話は次回も続きます。