遊郭

「吉原炎上」のウソ 3/公娼と私娼

前回出できた国語辞典の定義にあったように、広い意味での「遊廓」は、【遊女を抱えた家が多く集まっている地域】ということでいいのですが、一般に「遊廓」と言った場合は、公娼としての売春地域のことを意味します。

「公娼」とは、国が認める売春の制度、また、そこで働く個人のことです。公娼にもさまざまな形があり得るわけですが、日本においてこれを実現したのが遊廓であり、この中で、鑑札と呼ばれる許可証を得た女たちだけが売春することができました。

前回書いたように、東京市内には6カ所の遊廓があり、東京府内には、ほかに調布、府中、八王子、父島に遊廓がありました。とくに市内の遊廓は規模が大きかったため、数で言えば東京は必ずしも遊廓が多くはなくて、たとえば北海道には40もの遊廓がありました。

これらの遊廓以外にも娼家の集まった地域があります。もしくは街娼のような個人営業もあって、これらはいわばモグリであり、「公娼」に対して「私娼」と言います。

「私娼」は業態のことも、娼婦個人のことも言い、地域を指す場合は、「私娼街」「私娼窟」などと言います。明治以降、よく知られた私娼窟には、浅草、亀戸、玉ノ井があり、渋谷、早稲田といった地名も古い本には時々出てきます。

私娼には別名も多数あって、「密淫売」という言い方がよく出ていますし、「だるま」などの俗称もあります。宮武外骨編『売春婦異名集』(成光館出版・大正15年)には地方で使用された私娼の名称も多数掲載されていますので、興味のある方はそちらを参照してください。外骨の本としては売れたため、古本屋で3千円から5千円程度で簡単に購入できます。

私娼はほかの業種を偽装していることが多いため、その業態に合わせて、「酌婦」「湯女(ゆな)」「雇女(やとな)」「飯盛女」などと呼ばれます(このうち、「湯女」はもっぱら江戸期のものですが、昭和になってからも温泉地には存在していました。今のソープ嬢も湯女の一種ですし)。

私娼窟を婉曲に「魔窟」と呼ぶこともありましたが、このような言い方を遊廓に使用している例はほとんどないでしょう。

公娼のあった時代、国のお墨付きのある公娼と、モグリのくせに人気のあった私娼とは商売敵の関係にあって、互いに互いを悪く言うことがよくありました。とくにドラマの舞台である明治末期には、浅草十二階下と呼ばれる私娼窟が人気を集めて、吉原を脅かしていました。大正時代には警察がここを一掃していて、これは吉原遊廓の要望によるものだったとも言われます。

公娼からすると、私娼は「行政の管理が行き届かず、不潔で危険な場所」、私娼からすると、公娼は「値段が高く、女たちには自由がない」ということになります。私娼の女たちもしばしば借金で縛られてはいましたが、公娼のように法的な規則によって外出が自由にできなかったわけではありませんし、借金のない女たちが私娼にいたことも事実です(公娼にも一部いたのですけど)。

埼玉県や群馬県では早くから遊廓を廃止しています(これを「廃娼」と言います)。ところが、そのふたつの県では、代わりに私娼が跋扈し、地元ではこれらを遊廓と呼んでいました。性病対策を徹底するために、半ば公認状態になってましたから、公娼に限りなく近い私娼です。

このような例もあるのですが、公娼と私娼は、今の合法の風俗店と違法の風俗店以上に違うものであったことを覚えておいてください。

以上を踏まえていただいて、ここからはドラマ「吉原炎上」の間違いです。ドラマでは、藤田まこと演じる楼主(経営主)が、吉原を含めて「岡場所」という言い方をするシーンが出てきます。これも原作にはありません。

「岡場所」は遊廓以外の売春地域、つまり私娼窟を指す江戸時代の言葉で、明治時代にも使われていました。ドラマ同様に、広く一般に男らが遊ぶ場所をこう呼ぶ用法も見られはしますが、岡場所の「岡」は吉原の「原」を踏まえた言葉であるとか、「外(ほか)場所」が訛った言葉であるといった諸説があって、どの説にしても、正規の吉原とそれ以外のモグリの私娼を分けるための言葉です。

この言葉の経緯からして、また、公娼と私娼の関係からして、吉原の楼主が私娼と公娼を混同させるような言い方をしたとは考えにくい。これも誤用と言うべきです。

この公娼制度は、敗戦後間もない昭和21年(1946)に廃止されています。ところが、このドラマでは、売春防止法によって遊廓が消滅したかのように説明されていますし、テレ朝のサイトでもそうなっています。

「公娼とは何か」「赤線とは何か」という定義の問題になって、議論の余地があるところなのですが、長くなるので、ここでは省略するとします。(続く)

遊郭

あなたの知らない性風俗史。
週1回の更新です。

遊郭

松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。