遊郭
「吉原炎上」のウソ 2/遊廓という言葉
テレビ朝日のドラマ「吉原炎上」はどこがどうおかしいのかを具体的に見ていきますが、私は映画版を観ていないため、以下はすべてドラマに限定したことだとお断りしておきます。また、録画していたわけではないので、私の見間違い、聞き間違いがあるかもしれず、気づいた方はご連絡ください。
単にドラマの批判をしてもつまらないので、このシリーズを読めば「遊廓の実情」がわかるように、また、ドラマを観ていない人でも理解できるように、丁寧に説明していきますが、そのため思い切り長く、思い切り細かくなります。吉原にも遊廓にもドラマにも興味のない方は半年くらい飛ばしてください。
吉原の歴史的経緯について改めて説明するのは面倒ですし、ネットにもいっぱい出ていますので、ここで繰り返すまでもないでしょう。詳しくは各自調べていただくとして、現在吉原のソープ街になっている場所にあった吉原遊廓は、明暦三年に移転するまでの元吉原に対して、正しくは「新吉原」です。しかし、遊廓があった時代から、吉原と呼ばれてましたので、以下、吉原で統一します。
原作もドラマもこの吉原遊廓を舞台にしているのですが、ドラマでは、大前提になる「遊廓」という言葉の使い方を間違っています。ドラマの冒頭で、「吉原には数百軒の遊廓があった」と説明してましたが(私の聞き間違いじゃなければ)、こんな言い方はできません。
以下は「大辞林 第二版」(三省堂)より。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CD%B7%B3%C7&kind=jn&mode=0&base=1&row=0
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ゆうかく いうくわく 0 【遊郭/遊▼廓】
遊女を抱えた家が多く集まっている地域。くるわ。遊里。いろざと。いろまち。
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ここにあるように、遊廓は「遊郭」とも書き、「廓」は城郭の「郭」と同じ漢字です。「廓」「郭」は、堀や塀で囲まれた地域を意味しますから、吉原自体がひとつの遊廓であり、「軒」でカウントするようなものではありません。
この辞書にある「くるわ(廓)」という言葉は、通常、遊廓と同じ意味で使用されるのですが、明治以降は、東京市(厳密には同じではないですが、今で言えば23区内)にあった六ヶ所の遊廓のうち、吉原と、明治22年に根津遊廓が埋め立て地に移転してできた洲崎のみを指す場合があります。これを二廓(にかく)と言います。実際に、堀や塀で囲われた一画になっている場所のみを廓としたわけです。対して、千住、板橋、新宿、品川を四宿(ししゅく)と言います。宿場町から発展したためです。
吉原は「おはぐろどぶ」と言われる堀で囲まれていました。今はもうどぶはないですが、石の堀が残っているのを見ることができます。
ドラマもそれを臭わせてましたが、このおはぐろどぶは遊女たちが逃げないためにあったとしているものがよくあります。もしそこまでのことをどぶに期待したのであれば、どこの遊廓でも同じように設計されたはずです。
現実には、二廓以外の遊廓は街道沿いにあり、一般の民家と並んで建物が並んでいて、堀も塀もなかったのですから、「堀がなければ遊女たちは逃げた」というわけではありません。のちのち説明するように、他の遊廓と違って、江戸時代の吉原には逃げ出したい女たちが多かったのではありますが、明治以降はその特殊事情はなくなって、なおかつ外出もそれほど難しくなくなっていたので、少なくとも明治以降において、「おはぐろどぶは逃亡を防止するためにあった」というのは考え過ぎだとしていいでしょう。
遊廓にあるひとつひとつの建物や店は、「妓楼(ぎろう)」「娼楼」ないしは単に「楼」と言います。「楼」は今でも中国語で建物を意味します。このドラマの舞台が「夕凪楼」になっているように(この屋号は原作とは違ってます)、妓楼の屋号にもよく使用されています。妓楼にのみ使用されるのでなく、中華料理店の「聘珍楼」のように広く屋号に使用される言葉です。「~屋」と同じようなものです。
江戸時代には「傾城(けいせい)屋」「遊女屋」「轡(くつわ)屋」といった言い方もありましたが、明治5年の「娼妓解放令」(注)以降、公娼制度が廃止される昭和21年まで、「貸座敷」というのが法的な業種名であり、妓楼の名称でもありましたから、「貸座敷が数百軒」と言ってもいいでしょう。貸座敷という名称については、原作でも説明されています。
「娼家(しょうか)」「女郎屋」という言葉もしばしば使用されますが、これは遊廓に限らず、広く売春をする建物を指す言葉です。
したがって、「吉原には数百軒の妓楼があった」あるいは「吉原には数百軒の貸座敷があった」と言うべきです。時期によりますが、明治の吉原には約三百軒の妓楼がありました。考え過ぎかもしれませんが、「数百軒」と表現したのは、たかがこの程度のことも調べなかったのではなかろうか。
ドラマのように「遊廓」を妓楼の意味で使用している例はほかでも見られはしますが、遊廓がなんであるのかがわからなくなった、ここ数十年の間に出てきたものであり、はっきり誤用とすべきです。
もちろん、原作ではこんな間違いはしておらず、妓楼のことは「店」「楼」と言っています。(続く)
注:明治五年十月二日発布の太政官布告を一般に「娼妓解放令」と呼んでますが、最初からこのような名称がついていたわけではなく、太政官布告第二九五号というのが正しい名称です。
この太政官布告第二九五号の内容は、広く年季奉公を禁止するものです。これを受けて、一週間後に司法省布告が出されていて、芸娼妓に絞って太政官布告の細則を定めたものと言うべき内容ですから、こちらを「芸娼妓解放令」と呼ぶのならまだわかりますが、それにしたって、「娼妓解放令」では、芸妓が無視されてます。
このふたつの令が出てきた経緯から、「娼妓解放令」としたのでしょうけど、当時の日本では、芸娼妓同様、前借で縛り付ける奉公制度があらゆる産業で見られたことを隠蔽することになってしまうため、ここは正しく「奉公制度禁止令」とでも言うべきかと思います。