遊郭

「吉原炎上」のウソ 1/はじめに

この連載では軽く読める読物を心がけていて、込み入った話は取り上げたくなかったのですが、そうはいかなくなりました。

昨年の暮れ、テレビ朝日でやっていた観月ありさ主演のドラマ「吉原炎上」の再放送を観ました。憤慨しました。

テレビ朝日のサイトに、この番組のページがありますので、参照してください。

http://www.tv-asahi.co.jp/yoshiwara/

歴史的な間違いが多すぎ、あり得ないことが次々に起きます。そんなつもりで観たのでなく、テレビをつけていたら始まったので観続けただけなのですが、途中からは「間違い探し」という楽しみ方をしてしまって、ドラマとしてはまったく楽しめませんでした。

純然たるフィクションであれば「ウソもよし」「時代考証がデタラメでもよし」「所詮テレビ」ってことで割り切ることもできるのですが、このドラマには原作があります。

原作は斎藤真一著『絵草紙・吉原炎上』(文藝春秋・1985)です。副題に「祖母 紫遊女物語」とあるように、吉原にいたことのある著者の祖母である久野(ひさの)を描いたものです。つまり、この話は実話なのです。

原作はずいぶん前に読んでいて、時間が経ったため、細かなところは覚えてません。性風俗に関心を抱く前に読んでいるので、資料を読み解くような注意を払っていなかったためでもあります。

それにしても、ドラマの印象は、原作とはまったく違っていて、「こんな話じゃないだろ」と訝って、改めて原作を読んでみました。細かなところを私が覚えていなかったのは当然で、吉原での生活を中心に、淡々と祖母の人生を綴っていて、ドラマとはまったく別の物語でした。

著者が母親から、つまり主人公である久野の娘から又聞きしたものですから、書かれたことのすべてが祖母の体験のままではないでしょうが、明治時代の資料が参考文献一覧に多数挙げられていることから、細部は資料による補足がなされていることがわかりますし、私もこの時代のものは多数読んでいるので、「このフレーズはこの本からだな」とわかる箇所もあります。

「これは著者か編集者のミスではないか」という点は多々ありますが、本を読み進む上で支障になるようなものではありません。まして、ドラマで感じたような憤慨は感じようもない。

それに引き換え、ドラマは違和感だらけです。「こんなことがあるわけないだろ」と私が感じた点はことごとく原作にはありませんでした。創作なのです。

遊廓の過酷さを描きつつも、「ほのぼのとしたいい話」でさえある原作のままではドラマになりにくく、原作にないエピソードを加え、善人を悪人に、善意を悪意にすり替えた結果、現実とはかけ離れたおバカな代物になってしまったようです。

原作では、主人公の久野(源氏名は若汐、のちに紫)が吉原にやってきたのは明治20年のことです。ドラマでは、これを明治40年に設定し直してます。現実の久野が吉原で体験した大火は、明治24年のものです。

江戸時代から、吉原では繰り返し火災があって(というより、江戸のあちこちで繰り返し火災があったわけですが)、明治に入ってからもたびたび火災があって、明治24年の火災では28楼が焼失。明治44年の火災では吉原は全焼しています。ドラマはこちらに時代をずらしています。

原作では、吉原を出て結婚した久野が、新聞で明治44年の大火を知ることになっていますが、より災害を大きくし、明治という時代の終焉と重ねるため、つまりドラマチックにするために、20年ずらしたのだと思われます。

これをしたための無理も生じています。明治時代の20年は大きい。明治20年にあり得たことが明治40年にはあり得ないってことも出て来てしまいます。社会の変化だけでなく、明治33年の三業取締規則改正と、娼妓取締規則の発布によって、遊廓は制度上も大きく変化しています。

テレビドラマですから、こういった改竄も演出のうちって考えたのでしょうが、実話を原作にしたドラマでここまで手を加えることが許されるのかどうか。著作権者(おそらく遺族)がOKを出したのでしょうから、法的な問題はあり得ず、「実話であると銘打たない限り、どう翻案しようと勝手」という意見もあるでしょう。明治の遊廓を舞台にした実話をもとに、主人公が殺されようと、UFOを登場させようと自由ってことです。

私もその意見を全否定はしないですが、あれを観た人たちの中には、物語はフィクションでも、明治の遊廓を忠実に再現したものだと勘違いする人もいるでしょう。原作が実話であると知ったら、いよいよそのような誤解をしてしまうことでしょう。

あのドラマは、原作を1割くらい残しただけであり、原作は参照資料といった扱いでしかない。物語の出来はともあれ、リアリティという点で観た時には、史実を無視した出来の悪い創作です。

映画「タイタニック」だって現実にあった事故を素材にした創作ですけど、そのことは明示されていますし、「現実にはなかったが、あり得る範囲で創作されている」ってことであって、あり得ないエピソードを連発するのでは興ざめです。

遊廓についての知識のない人は多いでしょうし、繰り返し小説や映画の舞台にされ、今現在資料も手に入りやすい江戸時代あるいは赤線時代の吉原と違って、明治時代の遊廓のありようはあまり知られていないので、「あり得ない」と気づけた人はそうはいないでしょうけど、多数の人が気づかれなければ何してもいいってもんではない。

「我が輩は猫である」のような猫が実在するわけはなく、「ハレンチ学園」のような学校が実在するわけはなく、「イキガミ」のような国が実在するわけはないように、あのドラマに出てくる吉原が実在していたわけではありません。あのドラマを観る時は、それを踏まえていただきたい。

では、これ以降、何回かにわたって、あのドラマがいかにあり得ない虚構であるのかを説明していきます。そうすることによって、「遊廓とはどんなところであったのか」を正しく理解できるでしょうし、「いかにセックスワークの歴史は安易にねじ曲げられてしまうのか」を見据えることもできるはずです。

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あなたの知らない性風俗史。
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松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。