遊郭
役者買い
昨今、女たちがホストクラブ、出張ホスト、売り専の客になることに眉をひそめるムキがあるわけですが、これは日本の伝統であって、今になって急に女たちが買春をするようになったわけではありません。
戦前の雑誌を読んでいると、「役者買い」という言葉がよく出てきます。ここでの「役者」は、女の役者ではなく、もっぱら男の役者のことです。歌舞伎役者であれ、旅役者であれ、役者だけで食べていくことは難しく、パトロンをつけるしかない。こういったパトロン、愛人関係をもつことを「役者買い」(「やくしゃがい」ではなく、「やくしゃかい」と読む)と表現します。
これはもともと花柳界の用語です。つまり、芸者が歌舞伎役者に入れあげて、金銭面まで面倒を見ることから始まった言葉です。これを世間の人たちは当たりまえのこととして受け入れていたばかりでなく、人気のある役者をサポートすることが芸者自身のステイタスでした。それだけの金を得られる女はそうはおらず、役者買いは売れっ子芸者の特権であって、人気のある芸者に惚れ込まれることが役者のステータスでもありました。
戦前の雑誌や新聞には、新橋の何千代が歌舞伎役者の何五郎に入れあげているなんて話がよく出ていて、芸者と歌舞伎役者の関係は役者買いとして公然と語られ、一般庶民にとってはこれもまた娯楽だったわけです。
ところが、やがて役者買いは、花柳界と歌舞伎界の特権ではなくなります。
「話」(文藝春秋社)昭和9年5月号に掲載された今西鶴「新橋名妓艶聞録」は、新橋芸者を紹介しつつ、この頃の芸者は以前と違ってきたことを嘆いた内容です。歌舞伎役者に金を注ぎ込むような気風のいい芸者がいなくなり、役者と芸者がくっつくことがあっても、金銭を介在させない単なる恋愛沙汰になってしまい、役者買いをするのは上流階級の有閑夫人たちになってしまったというのです。
それを裏付けるような話も、この頃の雑誌にはよく出ています。
ちょっと前に、「東京スポーツ」の連載で出した話です。昭和4年、東京の代々木八幡で中年女性の絞殺死体が発見されます。昨年、妻が夫をバラバラにした事件があった富ヶ谷の近くです。おそらく当時は人通りもない淋しい場所だったのでしょう。
被害者は、中野区に住む退役軍人・遠藤軍吉(56)の妻、ふさえ(41)であることが判明。軍吉は将来を嘱望された軍人だったのですが、神経衰弱(今で言う鬱か)を患って退役し、以来十年はふさえが行商やブローカーをやって五人の子どもを育ててきました。
ふさえの遺体からはサファイアの指輪が消えていましたが、財布は手つかず。しかも、彼女は妊娠していました。
真っ先に疑われたのは、旅役者の女形・花之助です。被害者は知人の未亡人とともに役者買いをしていたのです。ふさえにしてみれば、夫は病気で甲斐性がなく、自分で稼いだ金をどう使おうと勝手ってことでしょう。
花之助は劇団からの独立を図って、資金をふさえに無心するも断られていました。金は出さないくせにしつこくつきまとい、妊娠までしてしまったふさえが邪魔になって殺したと思われたのですが、花之助には崩れぬアリバイがあって、捜査は振り出しに。
彼女は土地や金融の口利きもしていて、客を得るために体を武器にしていたことがわかってきます。しかし、この線からも有力な手掛かりは見つからず、結局犯人は、単なる物取りだったというオチ。
これは「実話雑誌」昭和10年12月号に出ていた「役者買ひをする大尉夫人」という実話読み物です。
タイトルを見ればわかるように、殺人事件を取り上げつつ、退役しているとは言え、軍人の妻が役者買いをしていたことが好奇の対象にされたわけです。
この場合は歌舞伎役者ではなく、旅役者です。この頃になると、舞台役者ではなく、映画役者のパトロンになることや、一夜限りの関係も役者買いと呼ぶ例が出てきます。
こうなると、役者たちは売春夫であり、その顔見せが舞台です。もともと芸能と売春は切っても切れない関係にありますので、これ自体、さして不思議なことではないのですが、これまでは、芸人同様、社会からはみ出した存在だった芸者の特権だった役者買いが大衆化したことに注目です。
それまで金を持っている女は芸者くらいしかいなかったのが、役者買いができる層が広がったとも言えるのですが、金の余裕がないはずの女たちまでが「役者買い」をやっていた事実があります。
この辺について詳しく書かれた資料が行方不明になってしまったので、出てきたらまた紹介するとして、ここでは役者買いという言葉を覚えておいてください。