遊郭
パンパンの語源
では、今回は、前回も出てきた「パンパン」という言葉を深く掘り下げてみましょう。
昭和20年代の雑誌を見ていると、この言葉が頻繁に登場します。狭義の意味では街娼のことです。広義では、米兵とつきあうような女たち一般を指し、時代を経ると、売春婦一般のことを指すようにもなります。
「パンパン」の語源は諸説あって、インドネシア語から来ただの、女たちが米兵に「パンをくれ」と言ったところから来ただの、米兵が女欲しさに家のドアをパンパンと叩いたところから来ただのといった説が隠語辞典に紹介されています。
しかし、もっとも信憑性があるのは神崎清著『売笑なき国へ』(昭和24年・一燈書房)で展開されているサイパン発祥説です。この本の冒頭に「パンパン語源考」という一文があって、著者は、長らく南方にいた篠原吉太郎という人物に聞いた話を紹介しています。
以下に簡単にまとめてみます(原文のままではありません)。
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1914年(大正3年)、第一次世界大戦時に日本軍はサイパンに上陸して占領。当地では物品を与えることで、地元の女たちとセックスすることができたが、言葉が通じないため、手をパンパンと叩いて女を呼んだ。そこから『パンパン』という言葉が生まれ、やがては日本から派遣されてきた娼婦たちをも『パンパン』と呼ぶようになり、あいまい屋(娼家)のことを『パンパン屋』と呼ぶようになった。この言葉がやがては軍人、船乗りたちによって、シンガポール、香港などにも広がっていく。
やがて米軍がサイパンに上陸。日本人は収容施設に入れられるが、空腹のために、同じ日本人と、あるいは米兵とセックスをすることで食料を確保する女が出てくる。これもパンパンと呼ばれ、こういった用語が米兵たちにも知られるようになり、敗戦によって日本にやってきた米兵たちが日本にこの言葉を伝えた。
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これがサイパン発祥説です。篠原吉太郎は抑留を解かれ、翌年の1月18日に引き揚げてきたのですが、その日のうちに横須賀線の中でパンパンという言葉を聞いて驚いたと言います。
この話を神崎清が聞いたのは、昭和24年以前のことであり、記憶もまだ鮮明なはずです。また、サイパンでは、パンパンを歌い込んだ歌もあり、パンパン坂と呼ばれる坂道まであったということから、ほぼこの説に間違いはないと思われます。
これ以外にも、南方から復員兵が持ち帰ったという説が書かれているものも見つけています。そういったルートもあったのでしょうが、その前に日本に上陸していた進駐軍が持ち込んだと考えた方がよさそうです。
日本は歴史的に「集娼」の国です。つまり、ひとところに娼婦たちが集まり、娼家に雇われるという形で商売をします。
これに対して、街娼は「散娼」というスタイルの典型です。いわばフリーです。
集娼は安全が確保されやすく、客集めは経営者がやるため、宣伝、営業は自分でやらなくていい分、楽だったりもします。売春という仕事に限らず、日本はその傾向が強い。フリーよりも組織に属することを好むし、フリーよりも組織に属する人を信用するわけです。
そんな日本において、敗戦とともに、大量の街娼が登場。彼女らはこれまでの街娼のようなうらぶれた悲惨さは薄い。当時の調査を見てもわかるのですが、意識としては、今も基地周辺、あるいは六本木あたりで米兵と遊ぶ女たちにも近い。純粋に金のためであれば、赤線で働いた方が安全で確実ですから(この辺の話もいずれ詳しく書きます)。
そういった新しい女たちを呼ぶ名前として、「パンパン」という用語が重宝されて、あっという間に広がったわけです。
したがって、娼婦に限らず、米兵といちゃつくような女たちに、この言葉が拡大されて使用されたのはもっともです。対して赤線の女たちは「自分たちはパンパンではない」として、区別することを求めていたくらいで、両者はまったく別の意識をもっていたと言ってもいい(もちろん、重なる部分もあるし、重なる人々もいたのですけど)。
このパンパンという言葉はさまざまな派生語を生みます。外国人(アジア系を除く)専門を「洋パン」「外パン」と呼び、白人専門を「白パン」、黒人専門を「黒パン」(どちらもOKを「ごましお」)、日本人専門を「和パン」「内パン」などと呼んでました。
このようにパンパンたちが細分化していたことも、「単に金のためではない」ということを意味してしましょう。
また、マイナーな使用法ですが、「セミパン」なんて言葉も見られます。「セミプロ」
の「セミ」です。プロなのかどうかわからないようなパンパンたちです。
街娼や娼婦そのものが蔑視の対象である上に、パンパンは「憎き米兵といちゃついて、いい生活をするふしだらな女たち」ってことですから、当初から蔑称のニュアンスを込めた言い方もありはしますが、この時代のものを読むと、よりフラットな言葉であって、「街娼」という言葉とさして変わりがない。
雑誌「改造」の昭和24年12月号では「パンパンの世界」と題して、パンパンたちを囲む座談会が開かれています。パンパンは5名で、他は心理学者の南博と宮城音弥、当時は新進作家だった三島由紀夫など錚々たるメンバーです。この表紙に「パンパン」の文字が大書されており、いかに広く使用されていた言葉なのか、いかに一般的に言葉だったのかよくわかります。
であるがために、蔑称はまた別にあって、「ジキパン(乞食パンパン)」「パン助」「パン公」といった言葉がそれ(親愛の情を含めた使用法もあるのですけど)。
昭和20年代末になると、規制逃れのためのさまざまな業種が出てきます。そのひとつが「パンマ」です。「パンパンマッサージ」の略で、表向きはマッサージ嬢。その実、パンパン。
街娼が激減するとともに、パンパンは娼婦の別称として使用されるようになっていったわけです。なお、この「パンマ」は、高度成長期まではよく使用されていました。そういう業態が盛んだったってことです。
娼婦の別称として使用されるとともに、今度は「パンパン」という言葉が蔑称として使用されるケースも増えます。
で、いつの間にやら、この言葉を「要注意語」に指定しているメディアがあるのです。「要注意語」というのは、差別語ではないにしても、使用する場合に注意が必要な言葉ってことです。
そのため、私自身、パンパンという言葉が危うく使えなくなりそうになったことがあります。歴史的事実を記述するのに、この言葉を使えないなんてバカなことがありましょうか。あくまで要注意であって、差別的な用法でないのであれば問題はないはずですが、考えるのが面倒なので、要注意語も無条件に使わせないメディアが現実にあります。
とことん私は抵抗をして、「松沢特例」として使うことができましたが、言葉を消すことは存在を消すことでもあって、あの時代特有の街娼のありようを知るためにも、「パンパン」という言葉は使い続けたいと思ってます。