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黄金町

 11月30日まで、横浜黄金町で、「黄金町バザール」という催しが開かれています。
http://www.koganecho.net/JPN/index.html

2004年初頭まで、ここには小さな店が軒を連ね、店の前で女たちが客を引いていました。その数ざっと200軒(これは10年近く前に一軒一軒数えた数字で、その後はもっと増えていたかもしれない)。それぞれに1人から2人の女たちが店に出ていましたから、毎晩、300人くらいは出勤していたでしょう。

国籍は時期によっていろいろで、一時は中南米が多く、その後はタイ、中国。末期はほとんどが台湾人で、数は少なかったのですが、日本人もいました。

台湾人たちは、日本に来るための借金を抱えているのは少ないため、悲壮感は薄く、繰り返し日本に稼ぎに来ているのや、短期間で辞めて、飲食店など、他の仕事に移るのも多く、黄金町の一斉摘発以降は、おそらくほとんどはすでに国に帰ったのでしょう。

この街の特徴は「場所貸し」であったことです。これも時期によって違うし、店によっても違うのかもしれませんが、私が2003年頃に台湾のコらに聞いたところによると、1人が1日で2万5千円の払って場所を借ります。これ以上稼げばすべて自分のもの。これに満たなければ赤字です。

いわゆるチョンの間ですから、料金は1本1万円。延長する客は少ないため、3本つかないと元がとれません。3本ついたところで5千円しか残らない。だから、客がつかないコたちは明るくなるまで外に立っていたものです。

一部例外的な地域が今もあって、これはまたいずれ紹介しますが、フリーを除く日本のセックスワーカーのほとんどは店に雇われて、一定の金額を店からバックしてもらうシステムの元で働いています。しかし、ヨーロッパの飾り窓は「場所貸し」が圧倒的に多いようです。

外国人が多く働く黄金町で「場所貸し」になっていたのは、経営者の摘発逃れ以外の理由がありそうにも思います。

さて、この「黄金町バザール」の公式サイトの説明にはこう書かれています。

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かつて違法な特殊飲食店が軒を連ねていた横浜市黄金町に2つのアートスタジオが新しく誕生します。これらのスタジオをメイン会場とし、「黄金町バザール」が開催されます。

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「特殊飲食店」を厳密な用語として使用したのでなく、「売春店」と書くのを避けるための「逃げ」としての言葉でしょうけが、誤解を招きます。

時期によって名称は変わるのですが、特殊飲食店(略して「特飲店」)は、赤線の店のことです。しかし、黄金町が赤線だった事実はありません。横浜の赤線は、黄金町から歩いて15分ほどの真金町にありました。ここは戦前、遊廓があった場所です。今は遊歩道やラブホテル、マンションなどがあるだけです。

国道を挟んだ反対側はヘルス街。通称「親不孝通り」と言われる、この通りが青線でした。

大宅壮一は『日本の裏街道を行く』(文藝春秋新社/1957年・昭和32年)の冒頭で、青線時代のこの街のことをこう描写しています。

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イセサキ町の裏通りは、"親不孝通り"という名で通っている。ここに足を踏み入れたらさいご、浪花節の文句じゃないが、"親の勘当待つばかり"ということになっているらしい。いわゆる"青線地帯"で、バー、キャバレー、飲食店などの軒をつらねている。

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では、黄金町はどういう街だったのでしょう。これも大宅壮一の文章から。

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川をわたると、すぐイセサキ町の繁華街通りに出る。日本の大都市の表と裏が、こうも対照的な形で背中合わせになっているところは珍しい。この風太郎街は、いわば近代都市、いや、今の社会組織から必然的に生まれている排泄物か下水のようなものであるが、一度ここの味を覚えると、はなれられなくなるらしい。

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「風太郎」というのは港湾労働者のことです。風のように来て風のように去っていくからでしょうか。

大岡川には、風太郎のための宿になっている船があり、これを水上ホテルと呼びました。これが火災を起こしたことがあって、以来、水上ホテルは禁止。

その当時とはずいぶん様変わりしていますが、それでも徒歩で移動できる範囲に、家族連れの多い商店街や映画館があり、ヘルス街があり、ソープ街があり、飲み屋街があり、そして、チョンの間街があったのですから、【大都市の表と裏】が共存していたわけです(チョンの間以外の風俗店は今も残ってますし)。

大宅壮一は、黄金町は、風太郎たちが集まり、クスリ(ヒロポンでしょう)の売買をする危険な場所としてしか描いてませんが、地元の人に聞いたところによると、この時代から、すでに売春をする店が細々と営業していた場所でもあって、真金町の業者の娼婦の貸し借りもやっていたと言います。

売防法によって真金町の赤線は壊滅して、業者は旅館などに転業。この名残が真金町のラブホテルです。トルコ風呂に転業した業者もあったらしいのですが、今は真金町には残っていません。

トルコ風呂は黄金町に近い野毛にも何軒かできて、ストリップ劇場などもあるため、歓楽街としては真金町から野毛周辺に移動、それとともに、モグリであった黄金町が、売春街としてやがて発展していくことになります。

これが黄金町のざっくりした歴史です。2004年の一斉摘発以降、この街のイメージを一掃する試みが行われていて、ギャラリーやスタジオが新設され、この「黄金町バザール」もその試みのひとつってわけです。

違法性の疑いのある商売がおおっぴらに行われていたのですから、一掃されるのもやむを得ないかもしれないですけど、歴史的な事実はしっかり踏まえて欲しいと思う次第です。

なお、赤線というのもまた正しく理解されていない用語でありまして、今現在入手できる文献の多くが正確ではない記述をしています。これもまたいずれ説明したいと思います。

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松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。