遊郭

「吉原炎上」のウソ 14/遊廓の心中

原作には出てこないのですが、ドラマでは娼妓が客と心中するシーンが出てきます。同じ妓楼から、肺病で死ぬのはいるわ、脳梅になるのはいるわ、心中するのはいるわで、どんだけイベント満載の妓楼かと。

原作に出てくる中米には46人もの娼妓がいたとあります。対してドラマの夕凪楼は、10人かそこらしかいないように見えます。なのに、こうも不幸が連発したのでは、経営は成り立たないです。

遊廓と言えば心中がつきものという先入観によるものでしょうが、ここもまたよく誤解されている点です。

確かに江戸時代には、近松門左衛門の影響もあって、遊女と客の心中が流行った時代があり、幕府も遊廓の経営者らも頭を悩ませていますが、近代になってからは、心中の内実が変わってきます。

日本で最初の心中研究書は大道和一著『情死の研究』(同文館・明治44年)とされています。著者は新聞記者で、全国の新聞記事から心中記事を集めてデータをとっています。

これによると、3年間で全国の新聞に掲載された心中事件は501件。そのうち、遊廓の心中は36件です(このデータは分類の基準がよくわからず、数字を読み取りにくいのですが)。平均すると、毎月全国どこかの遊廓で心中が1件あったことになりますから、遊廓には心中がつきものと言っても間違いではなさそうです。

事実、戦前の雑誌には、遊廓を舞台にした心中事件がよく出ています。ところが、よくよく読むと、心中ではなく、無理心中が多いのです。

何年か前に、吉原のソープ嬢が店で客に殺された事件がありました。あれも、犯人が自殺しようとして、その道づれにしたものです。結局、犯人は自殺できず、単なる殺人でしたが。

一人で死ぬのが怖い男はなぜかこういう職業の女たちを道づれにしたがります。「こんな女は生きている価値がない」とでも考えるのでしょうか。

磯村英一著『心中考』(講談社・昭和34年)には、遊廓における心中の分類が出ています。

第一は「なじみ心中」。馴染み客と娼妓の心中です。「約束を実現不可能にする事情が生じた場合に起こるもの」と著者は書いていますが、この事情のほとんどは男側にあります。身請けして夫婦になろうと約束したのに、男は事業に失敗して、実現不可能になったようなケースです。

第二は「道づれ心中」。客が熱を上げすぎた末の無理心中です。ドラマ「吉原炎上」でも、金がなくなった男が逆上するシーンが出てきましたが、ああいう男が女を逆恨みして無理心中をするわけです。

第三は「行きずり心中」。吉原のソープであった殺人事件のように、馴染みでもなんでもないのに、男の側に自殺しなければならない事情が生じたことによって起きるもので、これもまた道連れです。

つまり、第二、第三は無理心中という名の殺人であって、純然たる心中は第一のパターンみです。

第一のパターンに属するものでも、「同情心中」といったものがほとんどであり、『心中考』の著者が言うような「約束」など存在していないことも多いものです。

妻子ある男が遊ぶ金欲しさに使い込みをやり、それが発覚して会社を首になって、妻は実家に帰り、もはやにっちもさっちもいかない。娼妓は自分の責任でもあると同情して、心中をするといったようなものです。「同情心中」「つきそい心中」とでも言った方がいいかもしれない。

この時に、娼妓は「自分の身を儚んで」というところもあるのでしょうけど、このような同情心中は、娼妓以外でも見られます。大正時代や昭和初期には、女同士の心中がよくあって、中にはレズビアンと思われるようなものもあるのですが、単なる同情による「つきそい心中」もあって、昔の日本女性はどうしてああも同情しやすかったのかと頭を抱えます。ここにも日本人の死生観が関わっていそうです。

さて、ドラマに出てくる心中はどれなのかと言えば、どれでもありません。男は遊廓に死に来ていて、それに娼妓が合意してますから、あえて言うなら「同情心中」ですが、馴染みではないですから、磯村英一の分類にはない心中です。

いかに男に死ぬ事情があったところで、一晩で娼妓がそれに同情して心中するなどと考えるのはナイーブにもほどがあります。その娼妓はずっと死ぬことを考えていて、たまたまそこに死ぬきっかけになる客がやってきたってこともないとは言えないですが、そもそも娼妓単独の自殺は、ないわけではないにしても、心中ほどは聞かない。

そもそも原作にはないエピソードですから、遊廓の心中のありようを調べることもなく、「こうすれば遊廓は悲惨に見える」という思いつきで加えただけでしょう。テレビは、原作のあるドラマで次々と人を殺していればいいのですから、お気楽なものです。

原作を読んでも、知っている娼妓が亡くなったり、火災に遭ったり、好きな男が来なくなったりと、悲しい話はたくさん出てくるのですが、同時に楽しみも喜びもあって、生き甲斐も希望もありました。これは、久野が人気のあった一流娼妓だからであって、娼妓の誰もがそうだったわけではないのですが、「あんな環境にあったら、どんな女も死にたくなろう」などというのは、後世の人間の勝手な想像です。

そうも悲惨な話にしたいのであれば、原作など使用せず、すべて創作にすればよかったのです。出てくる人間はすべて卑しい人間ばかりで、娼妓同士は常にいがみあってつかみ合いの喧嘩をし、ちょっとしたことで楼主は暴力をふるい、娼妓たちを犯しまくり、すべての娼妓の体には梅毒の潰瘍ができ、最後は娼妓と客と店の人間が互いに刺し合って全員死亡するような物語にしていれば、私もフィクションとして楽しめたでしょう。

娼妓の中には、「貧しい家にいるよりも幸せ」と感じていたのもいました。なんという本だったのか忘れてしまいましたが、遊廓か赤線にいた著者が書いた本の中にも、「仕事が楽しくて楽しくて、家には帰りたくない」と語る女性が出てきます。

ワーキングプアやら派遣労働者の首切りが問題になっていますが、その比ではなかった貧困層の実情を知れば、そういったことを言う女たちの気持ちも十分に理解できます。(続く)

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松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。