遊郭
「吉原炎上」のウソ 18/娼妓が死ぬ事情
前回に続いて加藤てい子著『廓の子』を見ていきます。
主人公の母が経営する妓楼で亡くなった3人目の娼妓は藤子です。処女で遊廓にやってきたため、主人公は逃げるように勧めるのですが、藤子は毅然と拒否します。
わざわざ処女であることを強調し、それがゆえに逃げることを勧めていることから、一般に思われているようには、処女で遊廓に来るのが多くはないことが読み取れます。
なおかつ、主人公と違い、藤子は自分の育った現実をよく知っていて、逃げたところで意味がないこともわかっていました。娼妓たちは逃げたいのに逃げらなかったのでなく、逃げても意味がないことを知っていたから逃げなかったのです。
やがて童貞の宇津木という客が藤子につき、繰り返し宇津木は藤子のもとにやってくるようになります。主人公はこの宇津木に惹かれるようになり、藤子と宇津木と主人公の奇妙な三角関係が始まりますが、主人公はこの関係から逃げ出します。宇津木は厭世的になっていて、最初から死ぬ相手を求めていたようなところがあり、それを主人公は察知したようでもあります。
そして、宇津木と藤子は心中を果たします。つまり、死ぬ事情は宇津木にあって、藤子はそれにつきあった「同情心中」とでも言うべき心中でした。これもすでに書いたように、遊廓の心中ではこのパターンも多いのです。
もちろん、娼妓の側からすれば、自分の身を儚んでということもありましょうが、娼妓たちが儚んだのは、遊廓の生活が過酷だったからでしょうか。外出もできないような「籠の鳥」だったからでしょうか。
この事情については、4人目の例がよく説明してくれています。
藤木が宇津木と心中したのと同時期に真弓という娼妓も死んでいます。真弓は初めてついた客とともに逃げ、2年間逃避行をした末に服毒心中。その客は強盗殺人で指名手配されていた犯罪者でした。
主人公は「真弓は自由を求めた」としているのですが、真弓は年季を終える寸前でした。つまり、ここでの自由は「遊廓から出る」ということではなく、もっと抽象的、もっと普遍的な自由です。
この真弓が足抜けしたのに続けて、嘉代子という娼妓も足抜けをします。嘉代子は真弓の足抜けに刺激されたのか、買い物にいった時にフラリと実家に帰ってしまうのです。
娼妓の契約書は連帯保証人を必要として、多くは親がサインをします。娼妓が足抜けをした場合、連帯保証人は借金の返済を求められますし、娼妓を探し出して妓楼に戻す努力をしなければならないため、実家に逃げ帰ったところで、親はそれを受け入れるわけにはいかない。
実家に娘が帰ってきたとあっては、親は楼主に連絡をして、連れ帰ってもらうしかない。そんなことは嘉代子も知らないはずがないにもかかわらず実家に帰り、当然、嘉代子はすぐに連れ戻さます。
戻ってきた嘉代子を主人公の母は殴り、こう嘆きます。
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あんたたち、あんたたちが逃げなければならんほど、このうちはひどいことをしてるか! おんなの......おんなの楼主だと思って馬鹿にして......。
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母が娼妓を殴ったのを見たのはこの時だけです。買い物に行くのも自由にさせているのに、なぜ逃げるのかとの嘆きです。
主人公は【喜代子は逃げ出してみて、はじめて檻の存在を知ったのだ】と書いています。それくらい自由だったわけですし、逃げること、つまり借金を踏み倒すことだけには厳しかったことがわかります。
【なぜ逃げきってしまわなかったの?】と主人公は嘉代子に聞き、喜代子は【いっそ惨めに酷い仕打ちを受ければ逃げきれるのでしょうけど......】と答えています。戻れば半殺しになるとわかっていれば逃げるが、そうではなかったと。
彼女は遊廓の生活ではなく、遊廓を出たあとのことを不安に感じていました。遊廓にいた女に対する社会の視線を恐怖したと言ってもいい。遊廓から足抜けしたところで、その視線から逃れられるわけではないのですが、不安で不安でしょうがなかったのでしょう。
主人公が母に廃業を提案するのは、左翼活動家の影響もあったようです。主人公は、自分の考えをあまりきれいに整理ができておらず、売春に対する嫌悪を「労働者を搾取してはいけない」という考え方とすり替えているようなところもあります。
ここは世間一般の売春反対の人々を象徴していると見ることもできます。売春に反対する根源的な理由は「売春が嫌い」という個人の嫌悪感でしかないのに、そこに「人権が侵害されている」「監禁に近い状態」「暴力をふるわれている」といった話をくっつけることによって合理化する。そのために時にデマまで流す。
しかし、主人公は遊廓の実態を知っているがために、「労働者の搾取」という程度のことしか言えなかったわけです。彼女がその後働くことになる新聞社だって、企業である以上、労働者を搾取していることには違いがないにもかかわらず。
主人公は母に労働環境の改善を申し入れますが、聞き入れられず。母は、妓楼に対する税金がどんどん高くなり、「山のような負債」を抱えているため、女たちへの配分を増やすことなどできないと言います。そんな仕事だったらやめてしまえということで、廃業を決意。
妓楼に対する税金が過酷だったのは事実ですし、多くの妓楼が借金を抱えていたのも事実で、これは福井だけのことではありません。「女たちを搾取して経営者は贅沢三昧の日々を送っている」といったイメージを持つ人たちも多く、事実、儲かっている妓楼もあったわけですが、現実はこんなものです。
前回と今回、『廓の子』で見てきた遊廓の実情は、すべてが明治の吉原に当てはまるわけではないのですが、部分的にはそのまま通用すると思われる箇所もあります。
では、次回、その辺を詳しく見ていくとしましょう。