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「吉原炎上」のウソ 20/客に惚れてはいけない理由

現実にはすでに書いたように、多くの娼妓は逃げても無駄であることを知っていたため、逃げる気などありませんでした。貧農出身の女たちは、親元にいたところで、粟や稗や芋しか食べられず、仕事があったとしても、低賃金の子守りくらいしかない。それに引き換え、吉原では白米を食べられます。絹の布団で寝て、高い着物を着られます。

彼女たちが憧れていたのは、年季を明けて貧しい故郷に帰ることではなく(そういう娼妓もいたでしょうけど)、好きな男と結婚することであり、金のある客に落籍(ひか)されて、妻や妾になることでした(「落籍」は年季明けの前に、客が金を出して籍を抜くこと。「身請け」と同じ)。これなら親を困らせることはない。

『吉原炎上』の原作でもドラマでも、久野は客と結婚して人生をまっとうしています。彼女は貧農出身ではないわけですけど、これが多くの娼妓が目指すハーピーエンドです。

これに対して、足抜けするのも、ほとんどは男がらみです。いかに妓楼や親族に迷惑をかけようとも、「もっと会いたい」「一緒にいたい」という思いはとめられない。単に「自由が欲しい」「売春業から逃げたい」なんてことではない。そういった思いを抱くのもいたでしょうが、他人への迷惑を考えると、それが足抜けには直結しにくい。

いかに好きでも、男としては金を作って身請けすればいいのだし、金がなければ、年季明けまで待てばいいのですが、たいていこういう男はヤクザもんですから、そんな辛抱はせず、足抜けの多くは男の生活のためです。

さっさと逃亡させて、別の場所の私娼窟に女を送り込んで金をもらってトンズラってところでしょう。女の側からすると、男のためなら売春でもするってことであり、「売春がイヤで足抜けをした」ってわけではありません。

あるいは、『廓の子』にあったように、逃亡した末に心中することもありました。どちらにしても、妓楼は大損です。

「だから、妓楼が娼妓の行動を制限するのは当然」と言いたいわけではないのですが、当時の制度においては、妓楼側にとってそうする合理的な理由があったわけです。

遊廓で「客に惚れてはいけない」とされていたのは、第一には足抜けする可能性があるためです。第二には心中する可能性があるためです。第三には娼妓自身のためです。娼妓が金を出して好きな男と会うようになると、金がいくらあっても足りない。

事実、娼妓が好きな男に遊興費を渡して、遊びに来させることがありました。こういう男を間夫(まぶ)と言います。間夫ができると、仕事にも熱が入りません。今で言えばホストに金を貢ぐようなもので、娼妓たちの借金が減らなかったのは、こういった事情もあります。

もし久野に好きな男がいることを知っていたら、楼主も外出許可を出さなかったかもしれない。娼妓が客に恋をしていないかどうかを見極めるのもまた遣り手の仕事です。もしこれを察知されていたら、勇吉と落ち合うのではないかと疑われて許可は出さず、場合によっては、遣り手を同伴させたでしょう。

だから、原作での久野は勇吉との関係自体を悟られないようにしていていましたし、ウソをついて外出許可を得ています。

以上のことから、ドラマに登場した「逃げたくて逃げたくてしょうがなく、しかし、外出許可ももらえず、果てに自殺しようとした鶴尾」のような存在がいた可能性もありますが、あのドラマからは、その背景はまったく見えず、娼妓は誰もが外出する自由もなく、常に逃げたがっているとしか思えない。おそらく脚本家も正しい遊廓の事情などわからず、鶴尾を登場させたのでしょう。

あのドラマは、今の時代の我々が信じて疑っていない価値観を、明治時代に誰もが共有していたのだと誤解すること、誤解させることで成立しています。なおかつ、当時の社会状況に対する無理解があって成立しているものでしかありません。

そのことを詳しく見ていくことにします。

加藤てい子の小説『廓の子』で、娼妓が買い物に出る自由もあったのは、おそらく「福井だから」ということもあります。地方都市では、堀も塀もなかった遊廓が多く、その行動を制限しにくい。対して、吉原はおはぐろどぶで囲まれていて、日常的な買い物程度で外出できたとは思えません。

それ以外でも、ドラマの原作である斎藤真一著『吉原炎上』と、加藤てい子著『廓の子』は、遊廓、妓楼のありようが全然違ってます。前者は華やかさがあるのに対して、後者は陰惨ささえ漂う。前者は日本有数の遊廓である吉原であり、対して後者は福井の遊廓である点がまずあります。

『廓の子』は小説なので、データ的なことはほとんど出ていないため、ここで補足しておくことにしましょう。日本遊覧社編『全国遊廓案内』(日本遊覧社・昭和5年)によると、福井市の遊廓は石場畑方にあり、貸座敷は35軒、娼妓は約200人とあります。福井は羽二重の産地で、それなりには裕福な層がいて、京都の流れを汲む花柳界が発達はしていても、小規模な妓楼の多い鄙びた遊廓だったようです。



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※日本遊覧社編『全国遊廓案内』に出ている京都・島原の花魁道中の写真。関西と関東では、花柳界や遊廓のスタイルも違っていて、かつては福井でもこういった京都流の格好をしていた時代があったかもしれませんが、近代になってから、福井では花魁道中のようなイベントはなかったのではないでしょうか。



対する吉原の妓楼は同時期で300軒弱、娼妓の数は2500人。ざっと十倍の規模です。数だけでなく格式も違う。

それとともに、時代の違いも大きい。『吉原炎上』は明治20年代の話が中心です。『廓の子』は昭和初期が舞台です。この間に、遊廓をめぐる環境、社会の見方が大きく変質しているのです。

続く。

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松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。