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「吉原炎上」のウソ 23/娼妓と女工 1

明治時代、娼妓になれるほどの器量がなく、学歴も技能もない女子がまとまった現金収入を得るには、女工になるのがもっとも確実な方法でした。

工場で働くには身体検査があって、病気持ちでは働けませんでしたが、小学校さえ出ておらず、見た目が美しくなく、粗野な言動しかできなくても、体さえ丈夫であれば雇ってくれましたから、遊廓より、ずっと広く門戸を開いていたわけです。

しかし、女工の生活は、遊廓の比ではなく悲惨でした。その実態は、かの細井和喜蔵著『女工哀史』に活写されている通りです。

今も岩波文庫で読めるので、興味のある方はぜひ読んでいただきたいのですが、『女工哀史』は明治時代、大正時代の女工の実態を生々しく描いています。

前回書いたような、「借金で縛られて、自分の意思で辞めることはできなかった」「自由に外出することもできなかった」「稼いだ金のほんの一部しか手にできなかった」などなどの遊廓批判に対して、私は「そんなもん、日本中の多くの産業で行われていたことに過ぎず、遊廓に限ったことではない。『女工哀史』を読め」といったことをこれまでに何度か書いてますが、『女工哀史』の具体的な記述を取りあげて、遊廓と比較したことまではなく、また、他の人が近代に入ってからの日本の産業と遊廓を比較しているのをあまり見たこともないため、この機会にこの作業をやっておくことにしました。

もともとこの連載は、古いセックスワークのありようを説明する軽い読物のはずだったのですが、たまたまドラマ「吉原炎上」を観てしまったため、放置するわけにはいかなくなり、延々とこのシリーズが続いてしまっています。ドラマ「吉原炎上」を批判するというよりも、あのドラマをネタに、遊廓に関する誤解や歪曲を是正することを主眼にしており、その点で、他産業との比較をするのは重要な意味をもちます。そうすることで、なぜ当時の人たちは、「はした金」とも言えるわずかな金で、自分の娘をそうもたやすく遊廓に送り込むことができたのかも理解できるはずです。

これ以降、細井和喜蔵『女工哀史』に記述された女工の生活と、吉原の娼妓について比較していくとします。「『吉原炎上』のウソ」シリーズ内シリーズ「娼妓と女工」です。10回以上続きます。その間、「吉原炎上」はほとんど出てこないと思います。ご了承ください。

『女工哀史』は戦前の版も所有しているのですが、伏せ字があるため、戦後、最初に出た昭和29年の改造社版を元本にします(伏せ字を埋めたのは小説家の藤森成吉。細井和喜蔵を改造社に紹介し、この本が世に出るきっかけを作った人物であり、この戦後版には藤森成吉の「あとがき」も掲載されています)。

『女工哀史』という作品を理解していただくため、まずこの本の著者である細井和喜蔵について紹介しておきます(以下、序文に書かれている内容を中心にまとめています)。

細井和喜蔵は1897年、京都府に生まれました。婿養子の父は和喜蔵が生まれる前に実家に帰り、母は七歳の時に水死。面倒をみてくれていた祖母も13歳の時に亡くなって小学校5年で学校に行けなくなり、機屋の小僧になります。

以来、12年間、職工をしていました。

大阪の工場にいた時に、小指を機械で潰してしまうのですが、それに対してなんの補償もなく、それどころか「ぼんやりしているからだ」と叱られます。そのことをそのまま受け入れ、恨むこともなかったのですが、やがては工員の待遇に疑問を抱くようになり、組合運動に身を投じます。

ブラックリスト入りしたため、大阪では雇い入れる工場がなくなって上京、亀戸の工場で働き始めます。しばらく静かにしていたのですが、この工場でも労働争議が起きて、和喜蔵も巻き込まれます。争議には勝利したものの、仲間たちから排斥され、病気のためもあって辞職。

これ以降、文筆に専念しようとしますが、関東大震災のために妻も失職して兵庫県へ。

序文にはそう書かれているのですが、妻の回想によると、関東大震災のどさくさにまぎれて、亀戸では社会主義者たちが虐殺される「亀戸事件」が起きており、組合活動家である細井和喜蔵に忠告があって逃げたというのが実際のところらしい。

たしかに、妻が失職したからと言って、わざわざ兵庫県の山中にまで行くのは不自然です。そんなことを本に書いたら発禁になりかねないため、妻の失職ということにしたのだと思われます。

兵庫県の能勢にある工場で働くことになり、12時間の労働のあと執筆し続けて完成したのが『女工哀史』でした。

原稿が完成して、再度上京、1924年(大正13)、雑誌「改造」に一部が掲載され、翌年、本にまとまります。

ここまでが序文に書かれていることですが、出版からわずか一ヶ月後、28歳で細井和喜蔵は病死。この本の評判をほとんど知ることもなかったわけです。

主たる死因は結核です。密閉された空間で24時間暮す工場労働者に多かった病気です。つまり、工場労働者だったがために亡くなったのかもしれない。文字通り命を削った作品なのです。

「自序」で、細井和喜蔵は、製糸女工についても研究したい旨を書いています(注)。『女工哀史』は買い取りのため、印税は受け取れなかったにしても、知名度があがって原稿依頼が増えたでしょうから、文筆で食うことができ、遠からずこの「研究」は実現したはずです。夭逝したことが惜しまれます。

続きます。

注:『女工哀史』が取りあげているのはおもに紡績工場と織布工場の女工事情です。繊維業が身近になくなった今の時代には、どれも同じようなものだろうとも思えてしまうのですが、製糸工場は、『あゝ野麦峠』の舞台もそうであるように、群馬や長野など、養蚕が盛んな地域にありました。対して紡績工場は、どちらかと言えば都市型です。製糸工場は近隣の農村部から人を集められるのに対して、紡績工場は全国から金を集める必要があるなど、さまざまなところに違いがあって、それを細井和喜蔵は確かめたかったのだろうと思います。

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松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。