遊郭
「吉原炎上」のウソ 25/娼妓と女工 3
「娼妓は前借による契約で縛られていた。奴隷制度に等しい。だから遊廓はいけない」という批判は、当時の産業の多くを否定するものでしかない。他の産業でも見られたことでしかない点を無視して、遊廓のみの問題であるかのように見せかけるのは詐術と言ってもいい。
まして、これを今現在の売春否定につなげたのでは、繊維業を中心とした今現在の産業自体をも否定するしかなくなります。
むしろ遊廓はつねに警察の監視下にあり、細かな営業規則で縛られ、社会的な批判も厳しく、客という第三者を中に招き入れるしかないために、「まだしもマシだった」と言った方がいい。
現実には、昭和に入ってさえも、この国ではさまざまな産業で人身売買がなされ、無期限の奴隷制度が行われている業種もありました。私が子どもの頃、つまり昭和30年代から40年代にかけてでも、子どもを叱る際に、「サーカスに売られるぞ」というフレーズをしばしば聞いたもので、芸能や見世物の世界では、昭和に入っても、「子どもを売り買いする」ということが行われていた名残です。
また、瀬戸内海では、「かじこ」と呼ばれる船乗りの下働きがいました。昭和30年頃まで、子どもが「かじこ」として売られることがあったのです(これについて書いた本が昭和30年代に出ているのですが、現物が本に埋もれて見つからず、タイトルがわからなくなってしまいました)。この場合は、一生その地位に甘んじることもあったようなので、狭義の意味での奴隷と言ってもいい。
その中で、遊廓はまだしもマシだったことは、『女工哀史』で確認することができます。ほとんどの点において、女工は娼妓より過酷な労働環境に置かれていたと言っていいのです。
著者の細井和喜蔵は女工と娼妓を比較してこう書いています。
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公娼制度撤廃論者は、彼女(松沢注:娼妓のこと)が二重の束縛を受けてゐると唱えるが、二重の拘束に身動きならぬ者は独り公娼ばかりでなく、女工も等しく二重の奴隷的制度に縛られてゐる。日給の為の「賃金奴隷」と前借のための「満期づとめ」-----労働時間終了後に於ける寄宿舎の桎梏、これ正に公娼以上幾重もの奴隷制度でなく何であらう。
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「奴隷制度」ではなく「奴隷的制度」としているのは、狭義の奴隷ではないためでしょう。安易に「奴隷制度」という言葉を使いたがる人たちよりも細井和喜蔵は慎重です。最後は「奴隷制度」となっているのは、「女工の方が奴隷に近い」と言いたいのかも。
このことを着目した人はあまりいないのではないかと思いますが、『女工哀史』で、細井和喜蔵は公娼との比較をした上で、「女工の方がさらに過酷」とはっきり言っているのです。私だけが感じていることではないことをどうか確認していただきたい。
また、ここでは、わざわざ「公娼制度撤廃論者」を持ち出していることに留意していただきたい。「どうして彼らは、公娼制度を批判しながら、より過酷な女工については目をつぶるのか」との苛立があったことが想像できます。その意味についてはずっとあとで検討します。
細井和喜蔵は、借金によって身体を拘束されることだけをもって奴隷的制度と言っているのでなく、その他の条件を含めて比較して、女工は公娼以上の奴隷的制度だとしています。
まずは労働時間の長さです。工場での労働時間は、第一期、つまり明治初期は12時間から14時間、第二期以降は11時間から12時間となっていました。14時間だとすると、朝の8時から夜の10時までです(のちに説明しますが、当時の工場は日の出とともに操業だったため、実際の始業は5時くらいからでした。今の時代にはピンと来ないので、朝8時からにしてみました)。
これが正規の労働時間で、そのあとわずかな手当のつく「夜業」というものがあります。これを著者は「強制的残業」と書いていますが、女工たちは、わずかな金のために、喜んで夜業をしていたそうです。
他の資料を見ても、夜業のために、労働時間は時に16時間から18時間にも及ぶことがあったと言います。寝ている時間以外のすべてってことです。これでは仕事のあとに外出する暇もない。
また、週に一回の休みがとれたところで、外出は容易ではありませんでした。
このシリーズで念入りに説明したように、遊廓では外出が一切できなかったように書かれているものは間違いです。とは言え、外出できるのは、信頼を得ている娼妓であり、外出するにも楼主の許可が必要で、多くの遊廓では面倒な手続きもありましたから、とても自由に外出できたとは言えない。
では、女工はどうだったのでしょうか。『女工哀史』に出ている数え唄の中にこんなフレーズが出ています。
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十四とせ、忍び忍んで門衛まで
行けば門番にとがめられ
泣く泣く寄宿へ逃げ帰る
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どうやら女工たちも簡単には外出できなかったらしいのです。と思わせぶりに書いてみましたが、これについては『女工哀史』に具体例が多数書かれていて、女工たちも自由に外出することはできなかったのです。詳しくは次回。