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「吉原炎上」のウソ 27/娼妓と女工 5

女工たちは外出もままならない。となれば、仕事以外の時間は敷地内にある寄宿舎で過ごすしかないのですが、ここでも厳しい規則に縛られ、親族が電話をしても取り次いでもらえない。手紙を出そうにも内容をチェックされて、工場に対する批判や不平が書かれていると破り捨てられる。実家から食べものが送られてくると取り上げられる。

遊廓ではここまでひどいことはなかったでしょう。

『女工哀史』には、女工たちが口にする歌にこんなものがあったと書かれています。

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籠の鳥より 監獄よりも 寄宿ずまひは 尚辛い

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「籠の鳥」は娼妓の代名詞です。しかし、それよりも寄宿舎の生活は辛い。

自分らが置かれた環境の過酷さを強調するために、広く過酷さが知られている遊廓や監獄を持ち出しているだけ、また、その実態を知らないから言えているだけのようにも思えましょうが、細井和喜蔵は、より具体的に、女工たちの方が娼妓たちよりずっと辛い環境に置かれていたことを説明しています。

細井和喜蔵は、寄宿舎を「豚小屋」と呼んでいます。娼妓が「籠の鳥」であるなら、女工は「豚小屋の豚」です。見たこともない遊廓のことを想像で批判する人たちと違い、細井和喜蔵は工場の現実を見ていたからこそ、こう呼んだのです。

そもそも労働時間が長いため、女工たちにとっての寄宿舎は寝る場所でしかなかったわけですが、それにしてもひどい環境で、個室なんてものは望むべくもなく、何十人もの女工たちが大部屋に詰め込まれ、一人当たり1畳か2畳しか与えられない。

個人の所有物は風呂敷ひとつでしょうから、1畳あれば寝ることはできますが、26畳の部屋に33人を住ませていた寄宿舎もあったと言います。『女工哀史』にはその事情が書かれていないのですが、おそらくこれは昼夜二交替制の工場でしょう。これなら寝ているのは33人のうちの半数ですから、1人当たり1畳以上確保できます。

しかし、「1人1畳もないところで生活できるはずがない」という思い込みからの推測でしかないかもしれない。今の日本人よりずっと小柄ですから、1畳足らずで寝ることくらいはできたのかも。

さらには、昼の勤務と夜の勤務で布団を共有することもありました。

冷房なんてない時代ですから、夏は人いきれで室温も湿度も上がる。汗にまみれ、シラミだらけの布団に寝る。安普請の大部屋ですから、冬は寒い。暖房費をケチるため、寒い中で震えながら寝る。

布団を共有している寄宿舎で、風邪でもひいて寝込んだらどうしたのだろうと心配になります。有給なんて制度はないですから、病気であっても休めば給料を減らされます。減らされること覚悟で休もうとしてもなかなか休ませてくれない。

しかし、多くの工場では、医療体制は充実していました。もちろんこれは労働力の低下や損失を避けるためです。狭い工場、狭い寄宿舎の中で感染性の病気が発生すると、あっという間に工員たちに広がって、工場の操業をストップするしかなくなります。それを防ぐために診察や医薬品はタダの工場が多かったそうです。

代用可能な安い使い捨て労働力だった女工さえも大量に使えなくなれば損害が大きいってことです。

それでもなお病気が蔓延することがよくあって、細井和喜蔵がそうであったように、結核になる工員が少なくありませんでした。工場にせよ、寄宿舎にせよ、一人感染者がいれば、確実に他の人にも感染する。結核にならないのがいたのは、感染しても発症しなかっただけでしょう。

感染したところで、数年の年期期間のうちに死ぬようなことはなかったでしょうから、工場としては痛くも痒くもない。「結核であれば」です。

『女工哀史』には、明治時代にコレラが発生した大阪の工場の話が出ています。工場医が患者を隠そうとして、外部の医療機関に渡さなかったため、工場の内部に蔓延。慌てた工場主は、それ以上の感染を防ぎ、治療の手間を防ぐため、医者を買収して感染者に毒を飲ませ、数百という単位の女工が殺されたと言います。

「いくらなんでもこんなことがあるだろうか」と疑わないではいられませんが、明治時代まで、コレラは繰り返し猛威をふるい、その度に万単位の人が亡くなってます。一人でもコレラが発生したとあれば、工場は操業停止になりますから、隠そうとすることは十分あり得ますし、感染した以上、死ぬ可能性も高く、だったらさっさと殺してしまった方が損害は少ないと判断したということなのでしょうか。

それでも医療体制が充実していた点だけは、遊廓よりもマシだったと言えますが、遊廓では、すでに出てきたように、多くは二間以上ある立派な部屋で、絹の布団で寝ることもできました。コレラはともあれ、安静にしていれば治る風邪のような病気であれば、医者にかかるまでもなく、自分の部屋で寝ていればいいだけのことです。火鉢くらいはありますから、冬だって凍えることはない。

遊廓でコレラが発生して娼妓たちが毒殺されたなんて話は噂レベルでも私は読んだことがありません。医療体制が充実していて殺される工場と、内部に医者はいなくとも、殺されることはなかった遊廓と、果たしてどっちがひどい環境だったのか。

細井和喜蔵が「女工の方が娼妓よりひどい」としたのは決して間違ってはいないでしょう。

続きます。

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松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。