遊郭

「吉原炎上」のウソ 30/娼妓と女工 8

先週更新がなかったのは、忙しかったわけではなく、忘れていたわけでもなく、更新したはずなのに、更新されてませんでした。全然気づいていませんでした。誰にも指摘されず、読んでいる人が一人もいないのかも。まっ、いいけど。

もう一つ、今になって気づいたのですが、このブログのタイトル「遊廓松乃屋」のテキストデータがどこにもないのですね。そのために検索してもひっかかりません。タイトルなどをテキストで入れないと、検索で入ってこず、よってアクセスが増えないっす。今ここに書いたので、まっ、いいけど。

では、前回の続き。

客が通し物(出前のこと。「台の物」とも言う)を料理屋から頼むと、楼主が手数料を抜きます。これも「金の亡者」と楼主が批判される根拠となっているわけですが、そうせざるを得ない事情がありました。税金です。

今の飲食店、風俗店は、比較的脱税が容易な業種だったりするわけですが、当時、遊廓に対して税務署のチェックは非常に厳しく、売り上げに対して、通常の商家にかかる税金の数倍の税金がかかるため、すべての売り上げに、いちいち税金分を上乗せするしかなかったのです。もとの値段より手数料の方が高いこともあったようですが、とれるところからとっておかないと赤字になりかねなかったのでしょう。

対して工場ではそんな事情はないはずなのに、やっぱり値段を上乗せしていました。

工場内にも寄宿舎にも売店があって、日常雑貨は買えます。外出が容易ではないため、身の回りのものは売店で購入するしかありません。給金はしっかり工場が吸い上げるようになっていて、ここでも市価より高い値段がつけられていたのです。

女工が売店では買えないものが欲しい時は、塀から金の入った風呂敷を垂らして、外の店から買ってきてもらいますが、これは規則違反ですから、それを避けるため、また、無断で外に出ることを避けるために、塀の上には竹槍やガラスなどを立てていました。まさに監獄。

寄宿舎によっては島に建てられていたため、無断の外出などできるはずがなく、いよいよ工場内で買い物をするしかない。これでは監獄島です。

明治34年、大阪で地震があって、青蓮寺川の中洲に建てられた寄宿舎が倒壊。逃げることもできず、三百人もの死者が出ています(この年、大阪で大きな地震があった記録が見当たらず、著者の勘違いなのか、小さな地震にもかかわらず、大きな被害が出たのか)。遺体の回収にも手間取り、顔面が潰れていたため、個人を特定することも困難だったと言います。

当時はレンガを使用した建物が多く、また、都市部の工場では、土地代を浮かせるため、二階建て、三階建てになっていて、その中に重い機械を入れていたため、地震が来たらひとたまりもなく、機械とレンガの間に挟まって死亡したのが多かったことが推測できます。

通常、地震の被害は火災による割合が大きいのですが、工場では火が出る前に大量の犠牲者が出てしまうわけです。

「遊廓では門を閉じて逃げられなくした」というデマを今も語っている人たちがいるのに対して、門を閉じる必要もなく逃げられなかった女工たちについてはすっかり忘れられています。女工の哀れこそを感じないではいられません。

それでもこの工場の場合は慰霊塔が建てられただけまだましです。関東大震災で慰霊碑が建てられた吉原の娼妓なみの扱いはされたと言っていい。

しかし、明治25年に大阪の紡績工場が火災で焼けて、数百名が死傷した時には慰霊塔さえ建てられず、工場の創設者の銅像が建てられているだけだとあります。

『女工哀史』が雑誌「改造」に発表されたのは1924年(大正13年)で、その前年の9月には関東大震災がありました。執筆したのは、まさに関東大震災の年のことです。正確な数字まではわからないとしながら、細井和喜蔵はこのことにも触れていて、罹災した25の工場名を書き出し、死傷者の数はどんなに少なく見積もっても五千は下らないと書いています。

建物が崩れやすく、機械に潰されやすく、火が出やすく、扱っている繊維が燃えやすく、民家が密集した地域にあるなどの悪条件が揃っているため、この数字は決して大袈裟ではないでしょう。

また、「逃げられないようにしたために大量に焼け死んだ」という遊廓にまつわる都市伝説めいた話と同様のことが『女工哀史』には書かれています。

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富士紡小山工場の如きは一たん逃げ出した女工を「お前の体は金を出して買ってあるのだから自由な行動は執らせない。」とて(ママ)、厳重な監視づきで倒壊工場の炎々と燃えあがる工場脇の空地へ拘禁して置き、遂に非難時を失して延焼建物の為め四方から挟み焼きにして了った事実がある。

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ここは眉唾かもしれない。女工たちも、娼妓同様、逃げても仕方がなく、前借があれば、実家が困るだけです。事実、逃亡した女工が連れ返されたこともあり、逃げても無駄との嘆息も『女工哀史』には数々残されています。

この「小山」というのは東京品川の小山のことかと思いますが、当時も住宅が密集していたでしょうから、まだしも空きスペースのある工場内に留めておいた方が安全だと判断したのでしょう。

本所被服廠跡がよく知られるように、周辺の建物が焼けた場合、空き地に熱風が吹き込んで酸欠と熱で大量に死者を出します。震災直後には、そんな事情などわからず、こんなデマが出たのではなかろうか。

続きます。

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あなたの知らない性風俗史。
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松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。