遊郭
「吉原炎上」のウソ 31/娼妓と女工 9
そう簡単に外出ができなくても、遊廓ではたいていの商品が入手でき、着物やかんざしのような贅沢品も買えましたし、贔屓の客にねだれば買ってきてくれました。
客との恋愛は御法度ながら、身請けされれば、借金を返済してくれ、なお色をつけてもらえるため、楼主にとっても歓迎すべきことでしたから、相手が金持ちで、身請けの可能性がある限り、本気で好きになったところで咎められない。
対して女工たちは男と知り合う機会もない。工場内で男子工員たちが唯一の相手ですが、男子寄宿舎に女子は入れず、女子寄宿舎は男子は入れず、工場の外でデートをすることも難しい。それがバレると罰金です。
しかし、御法度なのは、末端の労働者同士の恋愛沙汰であり、工場長や組長といった役付は、やりたい放題。
目をつけた女工に言い寄り、断られると、重労働を強いるなどの嫌がらせをする。まさにセクハラです。さらには、自由に呼び出す権利があることをいいことに、個室に呼び出して半ば強引に関係する。
これに対する処罰規定もなく、細井和喜蔵自身が知る話として、数十人の女工に手を出し、そのうちの数人は妊娠し、それでも出世した例が書かれています。
これは稀な例では決してなく、広い範囲で行われていたことです。ただし、一方的に女工が被害者で、泣き寝入りするしかなかったという見方は正しくないかもしれない。これについては、もっとあとでまとめて説明します。
「『吉原炎上』のウソ 26/娼妓と女工 4」に、細井和喜蔵が娼妓と女工を比較した一文を引用しました。あれには続きがあります。
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公娼は自由が無いと言ふけれど、それは外面的な観察であって今すこし内面的に考へて見るがいい、彼女達は女としての生活欲望中最も大きな意味のある「美」の享楽はかなり自由であって、物質生活に事欠くやうな憂ひはない。女郎に於ては大抵な生活欲は満たされるけれど、労働婦人には殆ど此の自由がない。併し彼女達が如何にこの物質的「美」の享楽に憧れてゐるかは、女工出身の醜業婦が他の職業出身者より一ばん永続するてう(ママ)事でも証明される。序で乍ら浅草千束町と亀戸に於ける某銘酒屋店各一軒の私娼十人に対する勤め高を挙げれば左の通りだ。
仲居 一ヶ月
女優 二ヶ月半
町娘 六ヶ月
夫有ち 一ヶ月半
田舎出 七ヶ月(最高四年)
女工 二ヶ月半(最高五年)
公娼に於いては私娼の如く廃業が容易ではないと思ふが、此点は採聞する機会がなかったから詳しい事実は判らないが、併し大阪松島高砂町の某小楼で、抱妓七人のうち五人までが近藤、天満、和歌山、西の宮、泉尾等、何れも紡績女工出身者であった偶然には唯々おどろくのほかはなかった。
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千束と言えば今は吉原のソープ街がある住所ですが、当時の吉原は住所も吉原。当時の千束は浅草寄りの地域を指します。亀戸は戦後の赤線、戦前の私娼窟です。
銘酒店というのは私娼、つまりモグリの業者で、公娼における貸座敷のことです。私娼では、表向きは別業種になっていることが多く、その筆頭が銘酒屋だったため、銘酒屋は浅草周辺の私娼の代名詞です。
「女優」とありますが、これは映画女優ではなく、旅役者かレビューの女優でしょう。
公娼では、ほとんどの娼妓に前借があったため、自分の意思でやめることは難しい。対して私娼では、前借がある女たちばかりではなく、彼女たちはやめようと思えばやめられたため、ここにあるように、働いた期間に差が生じ、「どれだけ働いたか」によって、その前職がどの程度辛かったのかを計ることができるというのが細井和喜蔵の考えです。
大阪の松島は遊廓、つまり公娼です。そこの話を聞いているのですから、「採聞する機会がなかった」という表現は変ですが、松島遊廓は住所も松島町なので、高砂町の小楼というのはその周辺の私娼なのかもしれません。
最高年数は「前職が女工」です。女工を3年もやった人間であれば、私娼で5年は働ける。ここからそう簡単に女工の過酷さを決定することはできないだろうし、サンプルが10人では少なすぎますが、私がこれまで読んできた範囲でも、とりわけ私娼では、前職が女工である例は非常に多いものです。
女工の生活が過酷であればあるほど、「もっとおいしいものが食べたい」「寒さに凍えたくない」と考えるのは当然で、その時に、女工から脱したあとの仕事としては売春くらいしかない。そこにつけ込む周旋人たちもいて、甘言で女工になった女たちは、今度は甘言によって売春を始める。つまり、女工は、公娼・私娼の供給源になっていたとも言えます。
その逆コース、公娼や私娼から、女工になったケースもなくはないでしょうが、おそらくないに等しく、仮に女工になったところで続かない。そのくらいに両者の環境、待遇には差がありました。
また、こういった例を細井和喜蔵がわざわざ出していること自体に意味があります。細井和喜蔵は「醜業婦」という、売春否定をする人々が好む用語を使用しています。細井和喜蔵も売春を肯定する意図はさらさらなく、否定されるべき売春婦たちよりも、さらに女工は悲惨であったことを強調したかったのでしょうが、その存在を否定する人であっても、「娼婦はまだまし」と判断できていたわけです。
続きます。