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「吉原炎上」のウソ 33/娼妓と女工 11

女工の薄給に対して、娼妓の収入はいくらくらいだったのでしょう。給料制の女工と違い、大店か小店か、人気があるのかないのかによって大きな差が生ずるため、標準的な数字を出すのが難しいのですが、遊興料からざっくりとした数字を計算してみるとしましょう。

前回見た女工の収入と合わせるため、大正末期から昭和初期の値段を調べると、吉原の小店で、泊まりは3円から4円、大店で7円から8円。物価が今の2千分の一として、大店で泊まって1万4千円から1万6千円ですから、今の時代に比べればうんと安い。ヘルスの50分コースの料金で、もっとも高いクラスの妓楼に泊まれたわけです。

戦前は、引き手茶屋で芸者や幇間を呼んで騒ぎ、それから妓楼に行くことも多く、娼妓とともに食べたり、飲んだりする客も多かったため、この何倍も使う客もいたわけですが、これらの出費は娼妓たちとは関係がありません。

遊廓の時代は、泊まりの前に「時間の遊び」を1人か2人とります。これを「ちょんの間」と呼びます。戦後は「ショート」と呼ばれるようになります。今の「ちょんの間」は業態の名称で、20分なり30分なりが単位になっていますが、当時は通常2時間が標準です。

これが小店で2円、大店で4円くらい。2時間の料金の倍を出せば泊まりができるのは料金設定がおかしな気もしますが、泊まりは、酒を飲んだり、食事をしたりしながら話をする時間が長く、また、睡眠時間もありますから、セックスを実労働とするなら、2時間も泊まりもさして変わらないとも言えます。

また、東京の遊廓ではどこもそうだったように、「廻し」と言われる方法がとられていて、泊まりでは複数の客をとり、一晩のうちに、2部屋、3部屋を娼妓は回ります。そのため、泊まりでは値段を安く抑えられたという事情もあります。

これ自体が過酷と見なされがちですが、30分、40分といった単位で相手をする今のピンサロ嬢、ヘルス嬢の方が過酷ではなかろうか。その分、今の方が稼げはしますが。

時間遊びを2本、泊まりを2本とれば、大店の娼妓は一晩で20円以上を売り上げたことになります。今で言えば4万円か5万円ですから、たいしたことはない。手取りではなく、売り上げですからね。

このうち、娼妓の取り分はいくらなのかですが、数字がマチマチです。明治時代の本に出ている明細によると、貸座敷と娼妓の取り分は半々ということになっています。

斎藤真一著『吉原炎上』にはこう出ています。

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 揚代というのは一人の客から取るお金で、花魁たちは普通、その三分をもらえることになっていた。久野の場合、四十銭のうち十三銭をもらい、あとの十四銭が御内所に、残り十三銭のうち十銭が食費として差引かれて三銭が積立金となるのだと、お内儀さんから教えてもらっていた。

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上の数字より揚代がうんと安いのは時期が違うためです。

斎藤真一の『明治吉原細見記』では、娼妓の取り分は25パーセントになっていますし、ものによっては10パーセントとしているものもあって、こうも数字が違うのは、時代によって、あるいは遊廓によって、さらには店によって計算が違うこともありましょうが、どこまでを取り分とするのかの解釈の違いが大きい。とりわけ、できるだけ、娼妓は悲惨であって欲しく、それによって遊廓を批判した人たちは数字を低く解釈したがります。

貸座敷と娼妓が半々に分けたところで、そこから積み立て、食費などが引かれます。当然、贅沢をして、ツケで着物やかんざしを買ったりしていれば引かれる金は増えて、1割ももらえないこともあったでしょうが、だからと言って1割が取り分というのはおかしい。

今の時代でも、月に100万の収入を得ていながら、大半が借金の返済に回って、手元に金が残らないホステスや風俗嬢も中にはいるわけですが、だからといって、これらの仕事が「薄給」と言うのはおかしいのと一緒です。

本来娼妓がもらえる金額で言えば、いずれ戻ってくる積立金を入れて4割程度と言ってよさそうです。

ここでは40パーセントということにして、1日20円を稼げば、取り分は8円。休みなく働けば月で240円。今の時代よりもずっとご祝儀をはずむ客がいましたから、中には月に300円、400円といった額を手にする娼妓もいたかもしれませんが、そもそもこれだけの本数が続くような娼妓はほとんどいなかったでしょう。

小店となると、この半分。これらの数字はコンスタントに客がついた場合であって、標準的な娼妓であれば、さらにその半分。もっとも人気のない層だと、さらにその半分。そうなると、月に60円程度しか手元には残りません。物価が2千分の1だとすると12万円。

娼妓の場合は女工と違い、着物や化粧品、髪結いなどに金が出ていきますし、病気になって倒れたりすれば収入はなく、食費などが借金になります。あるいは間夫を作って貢いだりすれば、金はまったく残らないのですが、贅沢をしないで真面目に働けば、最底辺の娼妓でも、女工よりずっといい。しかも、前借の額も大きい。

だからこそ、見てくれのいい娘たちは女工から公娼、私娼へと流れたわけです。さもなければ、女工がわざわざ公娼、私娼を選択するはずがあるでしょうか。

続きます。

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松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。