遊郭
「吉原炎上」のウソ 34/娼妓と女工 12
いくら金が稼げて、いいものを食えたとしても、娼妓になれば性病に感染するリスクがあり、肺病で中で死んでしまうかもしれない。だから、娼妓の方が悲惨という意見もあるかもしれません。
では、女工はどうだったのかと言えば、昭和30年代になってもなお機織りなどの繊維業に従事する女たちの健康状態が悪いことが問題になっています。狭い空間で、繊維のホコリが舞う環境で長時間働くこと自体が体に悪い。
本がどこかに行ってしまいましたが、これは丹後(京都北部)の伝統的な機織業を描いたものの中で指摘されていたことで、データも挙げられていたはずです。見つけたらまた紹介します。
その上、戦前であれば、栄養状態も悪く、労働時間はさらに長かったため、結核などの病気に感染するのが多く、だからこそ、大きな工場では医療面を充実させるしかなかったわけです。
しかし、治る見込みがなければ解雇です。前借の額も女工は少なかったため、使い捨てる感覚は工場の方がより強く、働けなくなった女工を抱えておくほどの温情もない。病気になっても放り出さず、死ぬまで面倒を見た遊廓と違って、その前に放り出すのが工場です。
急性の病気では放り出すこともできず、そのまま亡くなります。遊廓では心中という名の殺人で命を奪われることがありましたが、工場ではしばしば事故がありました。娼妓と違い、殴った痕が顔や体に残ったところで仕事に支障はないですから、日常的に暴力も行われていて、殴られて倒れ、機械に巻き込まれて亡くなった例が『女工哀史』に出ています。
工場には「死体室」という小屋が設置されていて、それを見た細井和喜蔵の感想は「地獄」。火葬するまでの安置所ですが、安置というより放置といった方がいい粗末な小屋なのです。末期の水も飲ませてもらえないまま「地獄」に置かれ、すぐさま焼き場に運ばれる。「伝染病の疑いがあったために焼いた」と言い訳をしながら遺族にお骨を渡しておしまい。そうすれば、暴行のあとだって消えてしまいます。
この点においても、最低限の葬儀をやって無縁仏として葬られる娼妓の方がずっとマシです。
この場合は遺族に弔慰金が支払われ、『女工哀史』には70円から150円という数字が出ています。給料の2ヶ月分から4ヶ月分といったところ。命が安かった時代です。これを支払わないために、先手を講じて病気になると解雇する方法がとられたことが容易に想像できます。
では、実際に、どのくらいの女工が亡くなっていたのでしょうか。『女工哀史』に転載された「大阪毎日新聞」の数字には、寄宿女工千人中、毎年13人平均が亡くなっているとあります。これは工場内、寄宿舎内で亡くなった人の数字で、発病後に解雇されて帰郷したのちに亡くなるのが毎年10人程度いたため、合わせて23人が死亡。
つまり、毎年2.3パーセントが亡くなっていることになります。同年齢女子の平均と比べると、3倍も多い。10代から20代にかけての女子の年間死亡率が0.7パーセントくらいあったのも驚きですが、昔は若いうちから人がよく死んだのです。こちらの数字を見ると、現在の数十倍亡くなっています。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/P_Detail2008.asp?fname=T05-07.html&title1=%87X%81D%8E%80%96S%81E%8E%F5%96%BD&title2=%95%5C%82T%81%7C%82V%81%40%90%AB%81C%94N%97%EE%81i%82T%8D%CE%8AK%8B%89%81j%95%CA%8E%80%96S%97%A6%81F1920%81%602006%94N
この時期の娼妓の死亡数が出ているものが見当たらないのですが、おそらく女工より少ない。そのことは女工の死因を見ればわかります。
死因の一位は結核で、工場在籍中の死亡者の4割が結核またはその疑いのある者、解雇帰郷者のうちの7割が結核またはその疑いのある者。娼妓は人に接する機会が多かったわけですが、栄養状態が違いますし、女工ほど肉体を酷使するわけではありませんから、結核の感染率、発症率は女工より娼妓の方がずっと少ないことが想像できます。
死ぬわけではないにせよ、これに次いで女工に多かったのが消化器系の病気と脚気と感冒。消化器の病気が多いのは、短時間の大食が原因だとあります。おかずがほとんどないまま、ご飯を大量にかきこむことでストレスの解消をしていたのでしょう。
他にいくつかの病気が書かれていますが、注目すべきは婦人病です。長時間の立ち仕事、過労、寒い寄宿舎などり理由と並べて、「手淫」を挙げています。
手淫の実施率は事実高かったらしく、糸を巻くための木管を寄宿舎に持ち帰って挿入していたという話を「嘘らしい話」(「嘘臭い話」の意味)として紹介していますが、「あながち作り話ではなく」として、上毛モスリン岐阜工場で里芋を挿入して抜けなくなって医者の世話になった女工の実話を挙げています。
オナニー害悪論が強かった時代ですから、これが婦人病の原因になったと考えたのでしょうが、衛生状態が悪い寄宿舎でさまざまな道具を使ってオナニーをすることで、雑菌が子宮や尿道に入り込むことがあったのかもしれない。
その原因はともあれ、婦人病によって不妊になるのもいて、その率は10パーセントに達し、女工の子どもの千人中32人は1年未満で亡くなるとあります。これは一般の死亡率の倍に相当。流産の率、子どもの異常も多いとされています。
すでに述べたように、娼妓は不妊になる率が高かったとも思われるのですが、数字はともかく、この点では女工も同じだったのです。
続きます。