遊郭

「吉原炎上」のウソ 40/遊廓の背後にあるもの

『あゝ野麦峠』では農業の悲惨さも描いていて、なぜ工場に働きにいかなければならなかったのかの事情も理解できます。実家の手伝いをするよりも、女工になった方がまだマシだったわけです。メシも満足に食えないのでは、そう思うのは当然です。

実家から離れて、遊廓で生活することを選択したのもまた当然です。しかも、その労働環境は女工よりさらにマシでした。自ら選択したわけではなく、親が話を決めたケースが多いでしょうが、それで言えば女工も同じです。本人が決定できる選択肢などありませんでした。

また、すでに書いたように、女工の年季が明けたあと、私娼や公娼に行く女たちが多数いたのは、まだマシな環境を求めた結果であり、こちらは自分の意思です。

長らくこの国の多くの女たちは、「売春した方がまだマシ」あるいは「はるかにマシ」と思える環境にいて、それを奇異なこととは思わない人たちが多くいたという事実を踏まえない限り、遊廓の実相は見えてきません。

そこを理解しないから、あたかも女たちが騙されて遊廓にやってきたかのような妄想を広げます(私娼ではこういう例があったにせよ。あるいは公娼でもそういう例が皆無だったとまでは言えないにせよ)。

しばしば遊廓を批判する人たちは、このような現実を無視して、遊廓のみを取り出して、それだけが突出して悲惨であったかのように見せようとします。姑息であります。

ことさらに遊廓のみを叩きたがる人たちがいるのは、売春に関わるためです。廃娼運動にせよ、公娼制度の廃止にせよ、外圧や外来のものです。つまりはキリスト教的な思想が背景にあって、もともと日本には、売春に対する罪悪視はほとんどなかったと言っていい。だからこそ、斎藤真一が書くように、明治にあっても、吉原の娼妓たちは、その時代のトップレディーだったわけです。

すでに明治時代には西洋かぶれの人たちが多数いましたから、日本の中でも「売春はけしからん」と思っている人たちがいたのも事実ではあるのですが、だとしても、公娼のみを批判するのはおかしい。社会全体の構造に視点を向けなければ根本的な解決などできるはずがない。

南喜一という人物がいます。この人については、今までいろんなところで取りあげているので、ここでは簡単に済ませすが、南喜一はもともと工場主だった人物です。しかし、関東大震災を機に工場を解散して労働運動に転じます。ブルジョアからプロレタリアートに自らなったのです。

戦後は再び経営者となり、財界の大物として名を為すのですが、昭和初期には、玉ノ井で私娼解放運動をやっています。

玉ノ井は大正時代に誕生した私娼窟です。浅草の十二階下と言われる私娼窟が警察の取り締まりと震災にによって壊滅にいたって以降、玉ノ井は隆盛を極め、永井荷風も通ったことで知られ、滝田ゆうの漫画の舞台にもなっています。

この玉ノ井で、南喜一は、契約書の不備を突いて二百人を越える女たちを「解放」しているのですが、故郷に戻ったはずの女たちは次々と元の娼婦に戻ってしまいます。ひとたび娼婦になった人間を社会は迎え入れないというのではなくて、南喜一が気づいていなかった事情がここにはありました。

ある私娼を親もとに送り届けた時に、親たちが迷惑がっていることを知って、やっと南喜一は、自分がやってきたことの無意味さを理解します。

娘を食わせることができず、娘の前借や仕送りで辛うじて生活している家族たちにとっては、娘が戻ってきても喜べない。女たちが南喜一に頼ったのは、借金を帳消しにした上で、さらに売春稼業を続けて仕送りをしたり、借金をするためでしかありませんでした。

ブルジョア出身の南喜一には理解できていなかった現実を知って、なんと身勝手な善意で運動をやっていたのかと自分の愚かさを悟り、この運動からきれいに手を退きます。信仰という絶対的な正義のためではなく、女たちのためと思ってやってきた運動ですから、その無意味さを悟れば手を引くのはもっともです。

過酷なのは、遊廓なのでなく、売春という稼業でもなく、凶作に喘ぐ農村の現実であり、社会保障が整っていなかった時代の日本だったのです。

明治時代には公娼制度の廃止を求める廃娼運動が高まります。年末の社会鍋で知られる救世軍がよく知られますが、この運動を担ったのはキリスト教徒たちです。

彼らの主張は、本質的な問題に手を触れずして、売春に対する嫌悪感から、公娼制度を批判したものでしかありません。こっちは宗教的正義ですから、社会がどうあれ、女たちの生活がどうあれ、知ったことではありません。

廃娼運動を担ったキリスト教徒たちは、自分らがいかに多くの娼妓を救ったかを戦果として誇ったのですが、この時に廃娼運動に頼った女たちの中にも、南喜一を頼った女たちと同様の思惑があったことは想像に難くない。彼らは追跡調査をやっていないため、数字は出ていませんが、調査をしていたとしても、発表はしなかったでしょう。都合が悪いですから。

今の時代に私が言っているだけではなく、廃娼運動が高まっていた時代に、このことを的確に指摘していた人たちがいます。廃娼運動では問題は解決しないのだと。

綿々と信仰が続く宗教の力もかかわって、廃娼運動に関する資料は多く復刻されていますが、それを批判するものはほとんど復刻されれておらず、廃娼運動が当時どういう見方をされていたのか、今ではわかりにくくなってきています。

では、次回以降、それを確認していくとしましょう。

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あなたの知らない性風俗史。
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松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。